医者の不養生飯!

 年の瀬の慌ただしさに比例してか今日も今日とてひっきりなしに搬送されてきた患者の波がようやっと落ち着き、ローは当直室の固く冷たい椅子に腰をおろした。今年は珍しく自身の診療科である心臓血管外科が平和かと思えば、やはり深夜の救急は例年通りの忙しさである。
 チン、と電子レンジが鳴り、あたたまったなにものかをそれはそれは熱そうに両手の指先で持った先輩医師が向かいの椅子に腰かける。座ったばかりのところ忙しないことこの上ないが、レンジは争奪戦。強い者が勝つ。弱い奴は加熱時間も選べねえ。すかさず次の番へと滑り込もうとしたその時――不意に、それが目に留まった。
「……おい、オッサン」
「何だ若造」
「ア……アンタ何だその、888キロカロリーとかいう恐ろしい数字は。自分の歳わかってんのか」
「すえひろがりだよい」
「誰がうまいこと言えと!」
 悪魔の豚骨ラーメン、888キロカロリー。それが目の前の大先輩こと麻酔科医マルコの本日の夕食である。
 いや悪魔の豚骨ラーメンって何だ。
 わざわざ、ことさらに強調するまでもなく豚骨ラーメンというやつは悪魔的だろう。四十五のオッサンが深夜に食して良い代物ではない。
「師走の当直なんざ、多少羽目でも外さなきゃやってられねえだろ」
「そうだぞトラ男ー。あんまり細かいこと気にしてると、またストレスチェックと血圧引っかかるぞ」
「トニー屋……ッお前もか……!」
 ふと隣を見れば、同期の小児外科医トニー・トニー・チョッパーもまたカロリーの暴力をテーブルに広げご満悦の様子だった。その手にはたっぷりのクリームとチョコレートソースに彩られたストロベリーピンクの輪っかと、キャッサバの塊を浮かべたミルクティー。
 ここにも悪魔が。カロリーの悪魔が……!
「ドーナツ……はまあ、まあいい、まだわかる」
「穴が開いてるから0キロカロリー!」
「タピオカは……お前この時間にタピオカは……!」
「ビタミンもミネラルもちゃんと摂取して、何ておれってえらいんだ……!」
「えらいよい、チョッパー」
「わーい!」
 もうだめだこいつら、手の施しようがない。
 ローはがくりと項垂れた。すっかり争奪戦のことなど忘れ去っているうちに、電子レンジを誰かが稼働させた音がする。見下ろせば雑穀おにぎり、味噌汁、烏龍茶。レンジの方からはバターチキンカレーの薫りが漂いはじめ、目の前にはカロリーの悪魔たち。
「はっ……もしかしてトラ男もドーナツ食べたかったのか? でも……でもこれ、ロビンが並んで買ってきてくれた限定品でぇ……」
「小さい子泣かすな。自分で買いに行けよい、トラファルガー」
「うるせえ……ドーナツは要らねえ……あとトニー屋はそのナリでおれと同期の成人済みだ……!」
 ――何か、もう、いいんじゃないか? 栄養バランスとか、気にしなくていいんじゃないか?
 だめだよローさん、もう三十路なんだからちゃんと節制して!と天使(ペンギン)が言い募る。
 激務の後の飯は0キロカロリーだから!おれ今L○キ二本食ってる!と悪魔(シャチ)も負けじと声をあげる。事実なら後で説教だ――己の不摂生を棚にあげて。
「……ファ○チキ買ってくる」
 脳内で殴り合っていた天使と悪魔は、渾身の右ストレートが炸裂し悪魔の勝利と相成った。出すからついでにおれらの分も頼むよい、と差し出された千ベリー札。三人分のファミ○キには少し多い、要するに先輩からのちょっとしたお駄賃をローは遠慮なく受け取った。使い走りはいいがまだ食う気か、という言葉を飲み込んで。
 そうして病院一階のコンビニエンスストアへ向かおうとしたその時。
 ドドドドドド、と凄まじい足音が彼方から近づいてくるのが聞こえ――。
「肉ーーーーーーーーー!」
 ――スパーン!とこれまた豪快な音を立て、当直室のドアが勢いよく開いた。
 こんな暴挙をかます人間をローは一人しか知らない。
「何っで入院患者がここにいやがる、麦わら屋ァ……!」
 奇しくも当直医全員の知己、台風の目、歩けばトラブルに当たるがトラブルの方が裸足で逃げ出すキャッチ・アンド・リリース吸引器ことモンキー・D・ルフィの姿がそこにあった。
「肉の気配!!!!!」
「どんな嗅覚してんだ! 学会で発表されてえのか!」

fin.