いつか、ティル・ナ・ノーグの汀に

諸注意
※モブからキャラクターへの性的暴行が過去にあったことを示唆する描写、及びそのPTSDに関する描写を含みます。人によってはご気分を害する恐れがあります。ご自身の判断で購入・閲覧してください。
 また、該当する症状及びその寛解について、何ら医学的根拠を保証するところではありません。
※火災、人体の発火、熱傷などの描写が苦手な方はご注意ください。
※原作をプレイできていればたぶん大丈夫……かわからない程度の残酷な表現があります。
※5.5時点までに公式から開示された情報で好き勝手に書いているので、現在(6.4時点)明らかになっている情報や暁月の内容とは齟齬があります。
※ハイデリン及びゾディアークについて、核となった人物の為人を度外視し「蛮神」寄りの描写をしています。決して核となった人物(ヴェーネスのこともテミスのことも大好きです)を貶める意図はありませんが、不安に感じる方は閲覧をお控えください。
※このお話に登場する光の戦士(ララフェル)は成人済です
※光の戦士に関してめちゃくちゃ独自設定を盛っています。

 

序 Golden Slumbers


 朝、目覚めると泣いていることがある。
 ひどくいとおしい、かなしい夢を見たからだ。
 ミスト・ヴィレッジの小高い丘に構えた住まいの寝室で、はらはらと頬を伝う涙をそのままに、冒険者は緩慢な動作で身を起こした。擦ると目元が腫れてしまうから、いっそ流れるままにしておいた方がいい。
「ばかなひと……」
 夢で会った誰かを詰る声は、掠れていた。乾燥だけのせいではなくひりつく喉を誤魔化すように、サイドボードの水差しからグラスへ水を注ぎ、少しずつ口に含み飲み下す。
 冒険者の夢に現れるのは、決まって、その命がエーテル界へと還った者たちだった。ただひとり自分を友と呼んでくれた騎士、アラミゴ解放軍を率いていた老兵、ドマという国に愛憎を抱き、すべてを忘れ去って童心のまま生まれ変わることも赦されず、二度殺された女――……。
 二十余年の――第七霊災以前の記憶がないため、正確にはほんの二、三年の――人生には過ぎるほど多くのひとを喪ってきたが、中でもこの半年ほど、頻繁に夢で『会う』相手がいる。
 ひととき旅路を共にした、オリジナルのアシエンの一人。
 対話し、歩み寄るという選択肢を示し、時に親身に手を差し伸べてくれさえして――結局は訣別しこの手で殺した、アシエン・エメトセルクそのひとだった。
 その、彼を。記憶の通りに斃すこともあれば、手を取り合うことのできた未来を夢想することもあった。
「……わたしを倒して悲願を遂げたんだから、もっと嬉しそうに笑えばいいのに」
 今日はそのいずれとも違う。冒険者が、光の戦士が敗北した『もしも』を夢に見た。
 あと一歩、力及ばず強大な闇へと呑まれる刹那、最後の力を振り絞り、水晶公の術式で喚ばれた異世界の英雄たちを彼らの在るべき場所へと逃がし――そうして、異形の爪に胸を貫かれた。ごふりと血を吐き崩折れた己の姿に慟哭する仲間たちを、守る余裕はなかった。
 致命傷を受けたのに、どこか、楽になったような心地がして、ひどく重たいまぶたをひらけば、はらはらと水滴が落ちてくる。どうあっても自分を殺そうとした男が、呆然と、涙を流している。
 ――わたしを悼んでくれているの……?
 ――だめだよ。その涙は、本当に大切だったひとたちのために、とっておかなきゃ……。
 空は優しい朝焼けの色をしていて、抱き上げられた腕の中は、場違いなほどあたたかくて。
 ああ、どちらが勝っても結局、この身に宿した無尽光は深い闇と相殺し祓われるのだと――確信にも似た思いと共に、冒険者は夢から覚めたのだった。
 勝利したことを悔いるなど、散って行った者たちへの侮辱でしかない。彼を、彼らを斃して得た未来を、後悔した日などなかった。
 ――だけど、本音を言っていいのなら。
 嬉しいと、思ってしまったのだ。
 あの淡く柔らかな光に満ちた朝焼け。
 全身全霊をもって殺し合ったあとだというのに、とても優しく美しかった、抗いがたい別離の光景。最後にはいずれにせよ、あの場所へと帰結する運命。
 ――わたしが……あなたを殺して、幸せになれなかったように。
 彼もまた、光の戦士を斃して手に入れた未来でうまく笑えずに終わるのだとしたら、空想に過ぎずとも嬉しかった。
「でも……やっぱりあなたは、嘘つきだね……。嗤って見届けてやるって、言ったくせに……」
 その空想を――至るかもしれなかった結末を懐き、冒険者は届くことのない思いを独りごちる。
 誰にも告げたことはないし、この先の生涯誰かに告げる予定もないけれど、あの男とは単にいっときの旅の同行者というだけではない関係があった。正確には、関係を持った、と言うべきだろう。
 すり、と指の腹で唇をなぞる。ここにも、もっと言えないようなところにも触れられて、冷たい指先から熱が点って。 溶け合ったのは体というよりも、命そのもの。
「ねえ、わたしに……生きてほしかった?」
 どうあれ生きていてほしいと、水底で『泡』が告げた言葉を憶う。あの言葉は誰の願いだったのか、都合の良いように推し量れるほど、思い上がってはいないつもりだ。
 けれど、ならば……どうして。
 どうして、クリスタルを託してくれた?
 どうして、その導きを寄る辺に、あの日自分を死地から助けてくれた?
 落涙は止まない。消えゆく刹那、覚えていろと言ったその声を、触れればあたたかかったてのひらの熱を、憑き物が落ちたような最期の笑みを――かつて星を灼いた終末の幻影もすべて、一瞬たりとも忘れたことなどない。
 どうすればあの別れが疵にならなかったのか、今も、これから先もずっと、わからないままで。

◇ ◇ ◇

「アリゼーは攻撃を粘りすぎ。実戦でも結構危ないって思うことが多いから、もっと自分を大事にしてくれるとわたしも嬉しいかな」
 レヴナンツトール、石の家にて。タタルの用意した茶と焼菓子を囲んだ暁の血盟の面々は、先刻までの戦闘訓練を振り返っていた。一通り意見を出し合った後、総括を求められた冒険者が講評を述べていく。
「わかったわ。なんだか、あなたにだけは言われたくないことを言われた気もするけど……」
不承不承といった様子で頷いたアリゼーの言葉に、周囲も神妙な面持ちで頷いた。思い当たる節がありすぎるため、冒険者は何も言い返せない。
 別段、捨て鉢で戦っているだとか、自殺願望があるというわけではないのだ。退き際ならば弁えている――弁えているからこそ、退けない局面があるというだけで。
 とはいえ心配してくれている彼らに、あれこれと言い返して揉めるつもりもない。冒険者は曖昧に笑み、話を本筋に戻すことにした。
「ラハは逆に身軽すぎるかな。前の得物は弓だったし、軽やかに動き回れるのも大事なことではあるけど」
「う……やっぱり? 言い訳にしかならないが、元々魔法はそれほど得意じゃないんだ……」
 ぺたりと耳を伏せ、暁の血盟の新人ことグ・ラハ・ティアは言う。耳や尻尾に現れる感情表現といい、彼は割と直情的なたちだと冒険者は思うが、この世界で『目覚めて』以降は慎重すぎるきらいがあるようだ。
「そうなの? 水晶公は規格外の大魔術を行使してたよね」
「水晶公にはクリスタルタワーの補助があったからな。こう気合いで、ぐわーっと!」
「こう気合いで、ぐわーっと」
 今度は一転、ぴこぴこと耳を動かし、尻尾もはためかせて力説する様子は、何だか眠りにつく以前よりも若返っているかのようで、冒険者はくすりと笑ってしまった。ヤ・シュトラは呆れたように肩をすくめているが、同じく成人のミコッテ族としては、感情の表現に思うところがあるのだろう。
「攻撃と回避、どちらに重きを置きすぎてもいけない……理解はしていても、なかなか儘ならぬものですからね」
 ルイボスティーからドマ茶へ、飲み換える二杯目を新しいカップに注ぎながらウリエンジェが言う。
「詠唱職はそのあたりのバランスが肝心だね」
 ドマ茶には専用の茶器を用意すべきだったなあ、と頭の片隅にメモをしつつ、冒険者は頷いた。
「すっかり教官役が板に付いてきたな」
 揶揄、ではなく、きょうだいの成長を見守る兄のような眼差しではあるが、賞賛の言葉をくれたサンクレッドはにやにやと笑っている。なんだかすこしだけ腹が立つので、リーンに会ったら告げ口してやろう。
「やめてよ、人に教えられるほど器用じゃないったら」
「あら、ご謙遜ね。あなたに教えを請いたい、と思わない戦士の方が、このエオルゼア中でも少ないのではなくて?」
「やーめーてー! シュトラまでそういうこと言うー!」
 最初は、それこそ暁の血盟に勧誘された頃も、本当に右も左もわからない駆け出しの冒険者だったのだ。場数を踏んで荒事には慣れたものの、それぞれの専門技術を認められ賢人位を得た彼らの有能さには到底及ばない。
 本当に、偶々光の加護を授けられただけの、どこにでもいるような人間なのだ――冒険者は、己をそう認識している。
 英雄と呼ばれることの意味を、その責務を理解できないような子どもではないが、その言葉に込められた畏敬の念を難なく受け止められるほど成熟してもいない。
 自分は特別になってしまっただけで、もともと特別な人間などではない。
 もしも――もしも誰もが羨むほどの特別な力が、奇跡みたいに本当の魔法を使えるだけの素養が自分にあれば。喪わずに済んだ人が、どれだけいたか――……。
(……だめね。そんな仮定もまた、彼らへの侮辱だとわかっているのに)
 頭を振り、暗澹と沈んでいきそうになる思考を振り払う。
「……さて、と。そろそろ出発するね」
 努めて明るく笑い、冒険者は出立を告げた。
「おや。夕食までいられないのかい?」
「うん、ごめんアルフィノ。この前第一世界に行った時、気になる話を聞いて……早めに対処した方がよさそうだったし、それに、」
 ――わたしにとっても、いい機会だから。
「それに……?」
「ううん、何でもない」
 椅子の上に膝立ちをし、めいっぱい手を伸ばして、真白の柔い髪を撫でてやる。子ども扱いしないでくれ、と白皙の頬に朱が差すも、アルフィノが嫌がってはいないことを冒険者は知っている。たぶん、この子は、暁の血盟の中でも少しだけ、他の仲間たちよりも特別だ。冤罪によってエオルゼアを追われ、多くのものを失い、イシュガルドを旅する中で成長していく姿を間近で見てきたというのもある。それから。
 ――実際、家族のようなものです。血こそ繋がってはおりませんが、私がつらいときには、必ずそばにいてくれました。
 ユールモアでアルフィノはそう言ってくれたが、冒険者も同じことを思っている。だからこそ思うのだ、同じ巴術士の系譜に連なる癒しの術を扱う者として。叶うならば、命の選択を迫られたり、己の技では癒せぬ傷に絶望するような経験はしないでほしい。地獄など知らずに済むのなら知らぬまま、健やかに生きてほしいと。
 エスティニアンあたりが知れば、きっと過保護だと笑われるだろうけれど。
「それじゃあ、いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね」
「ありがとうクルル。何かあってもなくても、十日ほどでこちらに戻ってくるね」
 羨ましそうにアルフィノを見ていたグ・ラハとアリゼーを手招きし同じように頭を撫でてから、冒険者は席を立つ。わたわたと真っ赤になって慌てる二人の頬が緩んでいるので、自惚れではなかったようだ。
 仲間たちに手を振ると、石の家から酒場・セブンスヘブンへと繋がる扉に手を掛けた。第一世界にはエーテライト経由の転送魔法――テレポを用いて渡ることができるが、何となく初心に帰りたいような気持ちで、シルクスの狭間から星見の間へと渡ることにした。
 あの場で転移装置を使ったとて、今はもう、エーテル界に還った者たちの輝きの残滓に出会いはしないと知っている。
 それでもそうしたいと思ったのは、或いは何かの予感に導かれてのことだったのかもしれない。

◇ ◇ ◇

 ひと月ぶりに訪れたクリスタリウムは、優しく温かい街のまま、変わらずそこにあった。星見の間を守る衛兵に尋ねたところ、こちらでもちょうど前回、冒険者が訪れてから一か月が経過しているらしい。時差は安定しているようだ。
 一通り街の顔役や知人たちに挨拶を済ませ、マーケットで医薬品を補充し、ペンダント居住館に荷物を置く。ひとまずは最低限必要な装備や食料だけを持って、長丁場になりそうであれば一度着替えを取りに戻ろう。
 冒険者は窓辺に立ち、開いた窓から暮れなずむ空を見上げる。いつからかこの第一世界で自分を『視』ていたハシビロコウの姿は、今日は見当たらない。いったい誰の目なのか、わかりきっているようでわかりたくないことを考えながらテレポを詠唱し、次の瞬間には水底の街――アーモロート、マカレンサス広場に立っていた。
 滅びの際に縫い留められた街には、何度か訪れた時と少しも変わらぬ時間が流れている。
 主だった用事の所要時間は想定が難しいため、冒険者は先に私的な別件を済ませてしまうことにした。白色のシュラウドチェリーとカンパニュラ、ニメーヤリリーの花束を鞄から取り出し、広場の片隅にそっと置く。第一世界には存在しない種であるが、海の底ならば野生に返ったとしても生態系を乱すことはないだろう。
「花……何が好きか知らないから、勝手に選んじゃった」
 膝をつき、目を閉じて祈りを捧げる。まぶたの裏には、あの別離の、柔らかな朝焼けが情景を結ぶ。
 それに――わたしにとっても、いい機会だから。
 アルフィノに零してしまった言葉。その理由は、誰に見咎められることなく彼を悼む時間を作りたかったからだ。
 ノルヴラントが本当の夜を取り戻し、祝杯をあげる人々の中で、ひとり『敵』を偲び水を差すような真似はできなかった。共にこの街を、終末の再現を、最後の死闘を駆け抜けた仲間たちならば冒険者の想いに理解を示してはくれるだろうが、それは理解であって共感ではない。そうこうしている内にエリディブスの計略が動き出し、決戦の後、迫りくる仲間の命の刻限に追い立てられるようにして、原初世界へと帰還した。変わらず第一世界と行き来ができる冒険者だけは、無の大地の調査をやり遂げるために直ぐ引き返しては来たが、戦いの連続で、とても私用の時間など確保はできなかった。
 ――どうか、その眠りが安らかなものでありますように。
 ――永く静かな夢の中では、すべての枷が取り払われて、あなたが憂いなく笑っていられますように。
 そして――いつか転生して、また……。
「っ……いけない。会いたいのは、わたしだけなのに」
 本当は考えるまでもなくわかっている。
 気にかけてくれたのは、この魂の持ち主のため。そして独り残され、擦り切れても歩みつづけたエリディブスを解放するためだ。優しく、誠実で、自らの責務に忠実なひとだったから、だから手を貸してくれたに過ぎない。
 きっと、それだけではない特別な情を、ほんの少しだけは抱いていてくれたことを知っているけれど――それは大義の前にはあまりにも些細で、不要で、唾棄すべき感情だ。冒険者もまた、自らの想いに揺らぐことなく彼を討った。
 故人の願いを都合の良いように解釈するなど、それこそ、その生への冒涜だろう。
「生きていてほしかったのは、わたしじゃない……そんなのはじめから、わかってたんだから……」
 悼むためだけではない涙が、頬を伝う。
 俯き、蹲り、嗚咽を押し殺して、次第に息の仕方がわからなくなっていく。こうして彼の死に向き合えば割り切れると、そう思っていたのに――心に深く沈んだ悲しみは、まだ当分、拭えそうになかった。
 どれくらいの間、そうやって悲嘆に暮れていただろう。
 知らないはずなのに安心する、この街に無数に蠢くまぼろしの命たちとは少しだけ違う気配が、近づいてきた。
「おや……また会えたね。懐かしく、新しいキミ」
「……ヒュトロダエウス」
 ララフェルが見上げれば首が痛くなるほど大きなそのひとが、できる限り目線を近くしようと屈んでくれる。何だか微笑ましくて、沈んでいた気持ちがわずかに和らいだ。
「彼を悼んでくれていたんだね。ありがとう」
「悼んでいた、とは言えないかも。わたし、結局自分が悲しくて、寂しくて、自分のために泣いていただけで……」
 きっと遥かな昔に、とても大切な友人だったひと――その記憶を自分は持ち得ないことを歯がゆく思う。けれど今更、自分の人生を捨てて『元の誰か』に取って代わられることを良しとできるほど、冒険者は無欲ではなかった。
 誰かと出会い、歓びを分かち合ったこと。大切なのに守れなかったこと。心から慕って、寄り添いたいと願えども手を取り合えなかったこと。いつからか『英雄』と呼ばれ歩んできた道と因果のすべてが、自分だけの痛みであり祝福だ。
 ――リーンがミンフィリアにならなかったように、わたしも『アゼム』にはなれない。
「そうかな? そもそも、死者を思うという行為自体が生きている人間のためのものだけど……ワタシにはキミの祈りが、とても誠実なものだと思えたよ」
 冒険者の祈りを、身勝手なだけのものではないと、ヒュトロダエウスは赦してくれた。それが彼自身の気持ちでも、この街を創ったもういない誰かの願いでも、どちらでも構わなかった。
「あの……あのね、ヒュトロダエウス」
「何だい?」
 だから、どうあれ生きていてほしいと、いつかこの人が告げた言葉の真意も問わないことにする。この優しい『友人』を困らせたくはないし、どちらであったとしても、生を望まれていることはこの上ない僥倖だ。
「ありがとう。あなたに会えて、本当によかった」
 代わりに、心からの感謝を告げる。冒険者自身の思いと、かつてこの人と親しかったはずの、旧い自分の気持ちとを込めて。
「……! ワタシの、方こそ……」
 頭に直接響く、知らないのに知っている言語。声というよりも音と言うべきそれが、かすかに揺らぐ。涙に詰まってうまく言葉を発せないときのような、悲しくも優しい響きだ。
「キミの旅路に、幸いがあることを願っているよ。たとえ弱くとも――長く燃える希望の灯と共に」
 言祝ぎを残して踵を返し、あたたかく懐かしいひとは去っていく。その背が霞と消え見えなくなるまで見送って、冒険者もまた、目的地へ向け歩きだした。
 確かにこのアーモロートの街並みは、壮麗で美しい。辺りを見回しながら、あのひとが言ったことを思い出す。ここを訪れるのは火急の用件がある時ばかりで、ゆっくりと見て回る暇もなかったが、改めて眺めてみれば色々と、感じることもあった。
 暗い水底に閉ざされ、沈んだ色彩に見える建物たちも――陽の光の下では綺麗な白磁に映るだろう、とか。脳裏に思い描いたその風景は、どこか見覚えがある。
「シャーレアン……あれ? でも――」
 己が口走った地名に、冒険者は首を傾げた。
「……なんでわたし、今のをシャーレアンだと思ったの?」
 かの国の人々が撤収した跡地に築かれたイディルシャイアには馴染みがあるが、遠い洋上に浮かぶ本国には足を踏み入れたことすらなかった。
 ――否、昔に訪れた可能性がないとは言い切れない。そも自分は、第七霊災以前の記憶が欠落している。これまで昔を思い出すことは一度もなかったが、この魂の元の持ち主が残したものに触れて、何かが揺り起こされたのだろうか。
「途方もないことを考えても仕方ないか……今は目の前の問題に、集中しなきゃ」
 創造機関・アナイダアカデミア。此処が今回、第一世界を訪れた主たる理由だ。学術都市の中枢とも呼ぶべき建造物の重厚な扉が、冒険者の存在を感知し開いていく。
 厳粛で、静謐な空気の中を、微弱な毒と海水と、煙の匂いが漂ってくる。
「アナイダアカデミアへの、再度の見学をご希望ですか? もちろん構いませんよ」
 アカデミアの職員は、今日もまた同じ科白を口にした。この街のヒトはそういう存在だ。そう創られて同じ一日を繰り返す。規則性に縛られない言動を取るのは、先ほどまで共にいたヒュトロダエウスだけだった。
「ありがとう。でも……今日はやめておきます」
 職員の案内に礼と断りを告げ、冒険者は踵を返す。
 内部からは、依然として魔なるものの気配を感じる。一度最深部まで辿り着き、跋扈する様々な難敵をすべて討伐したにも関わらず、だ。
 根本的な原因があるとすれば、それを取り除かぬ限り、この場所は混乱に包まれたままの危険地帯だ。
 冒険者はフライングマウントを呼び出し、その背に乗って飛翔する。
『原因』ならば、既に当たりが付いていた。凶暴で何でも食い荒らす、見たことのないような獣。困り果てたオンド族からの調査依頼を受け、アーモロートで情報を収集し、辿り着いた先がかの学術機関だった。
 アカデミアから脱走したとされる大口の獣・アルケオタニア。実際に旧い歴史においてもその事故が起きたのか――事故が事実として、逃げ出した獣を捕えることに成功したのか、獣は行方を晦ませたまま災厄を振り撒いたのか。
「……けど、たぶん」
 仮説が正しいのならば、現在テンペストの平和を脅かしているアルケオタニアは、この泡沫のアーモロートのアナイダアカデミアから逃げ出した幻想体だ。情報を共有したナッツクランに、何度も討伐報告が上がっている――そう、何度もだ。そのアルケオタニアは必ず、決まった周期でアカデミアの檻を破り、深海で獲物を食い荒らし暴れ回る。遺構に積み重ねたまぼろしの理想郷に、エメトセルクの遺した魔力が宿るかぎり。
 それは一秒後かもしれないし、明日かもしれないし、百年以上先のことかもしれない。何となく、そう、何となく、自分が生を終えるまでの向こう数十年はあの街が在るのだろうと、冒険者は思う。悲願を打ち砕かれ散っていった者たちのせめてもの矜持――或いはすべてを、見届けるため。
 しかしアルケオタニアを沈黙させる有効な手立てが見つからなければ、泡沫の海底都市を消滅させるほかになくなるだろう。個人としては受け入れがたい選択肢だが、第一世界の今を生きる者たちの命とそんな感傷は、天秤に掛けるまでもないことだ。
 彼らの軌跡を悼みこそすれど、そのために足を止めてはならない。この星の歴史における勝者としての責任を、果たしつづけると誓ったのだから。
 水底の街を離れ一定の高度を超えると、空気に潮の匂いが混ざりだす。潮溜まりとアーモロートのちょうど中間あたり、岸壁に埋もれた天楼の遺構へと冒険者は降り立った。
 アルケオタニアが姿を現すトリガーが、この土地自体にある可能性を確認するためだ。もしもそうだとしたら、それを取り除けるのなら或いは――まぼろしの街を今、この手で消し去らずとも問題を解決できるかもしれない。何もないのならそのときは、喪失を受け容れるしかない。
 緻密に構築された大魔法を解体するのも、凶暴な幻獣を召喚しつづける原因を取り除くのも、いずれにせよ自分ひとりの手には余る。ベーク=ラグやウヌクアルハイ、サイエラ、賞金稼ぎの面々にも相談をして、それでも解決できないようなら一度原初世界に持ち帰る必要があるだろう。
 目を閉じ、ざらついた大理石に手を当てて、この場に揺蕩う魔力の流れを探る。エーテル学の専門家には一歩及ばないが、何らかの異常や作為を検知するくらいはできる。
「これは……見事なまでに、何もない……。だとしたら潮溜まりの生命力に誘引されている……? 紅血珊瑚の香りが決定打として、出現位置がこの塔の遺構に固定されている理由には説明が付かないけれど。だとしたら……」
 だとしたら、やはりあの幻影のアーモロートを消滅させるほかにない。
 一抹の寂寞をおぼえながら、調査結果を記録するために手帳を取り出そうとしたとき――
 ドンッ!
 高質量体が墜落したような衝撃と轟音が響き、大地が大きく揺れた。
「リリィベル!」
 冒険者は直感的にその場から飛び退き、迅速詠唱でフェアリーを召喚する。ごう、と吹き抜ける熱風。一秒前まで立っていた場所を、高エネルギー体が焼き払っていく。
 巨大な影が上空から急降下し、地響きが鳴る。
 土煙の中を振り仰げば、暗褐色の、歪な棘と角を生やした大口の獣――アルケオタニアがそこに立っていた。
「嘘、でしょ……この塔自体にトリガーがないなら、いったい何に――……」
 紅血珊瑚の仕掛けは、今は施されていない。他に獣をこの座標に誘引する確かな餌などあるはずが――と巡らせた思考は、数瞬で答えを叩き出した。
「――あるじゃない。分かたれる前のヒトには遠く及ばずとも、非魔道士より遥かに魔力保有量が多い人間。わたしっていう格好の餌が……!」
 せめてガンブレイカーの装備に着替えていれば、と冒険者は舌を打つ。そしてこの絶望的な状況を嘆きながらも、持てるすべての手段でバリアを張り、衝撃に備えた。無駄かもしれないが、何もせず犬死するよりマシだ。
 獣が唸りをあげる。――高密度エーテルの塊が、灼熱の温度をもって爆ぜた。
「ぅあ、づ、ああぁああああッ!」
 想像を凌駕する熱と、地が抉れ飛散した無数の瓦礫。
 襲い来た激痛に、冒険者は絶叫する。
 戦線を離脱するための時間を稼げればいい、という悪足掻きだったが、見通しが甘すぎたと言うほかない。
 着弾の衝撃で殆どすべてのバリアが消し飛び、リリィベルの姿も掻き消えた。彼女が残してくれた癒しの魔法と、あと数秒で霧散する野戦治癒の陣だけが、一瞬で死地へと叩き落された命を繋ぎ留めている。
「あ……ぁ、わた……し……」
 迫り来る死。目の前が赤く明滅する。古代獣が再び、大口を開けてこちらを狙い定める。
「っ……いや、だ、死にたく……ない……ッ!」
 煤けた視界の片隅、大事に仕舞っていたはずの橙色のクリスタルが転げ落ちている。うまく動かない腕を伸ばして、指先がその輝きに触れて。
 ――ごめんね、ハーデス……。
 覚えていると約束したのに、瞬きほどの歳月しか生きられなくて。
 胸の内だけでそっと、呟く。
 もしもこんな道半ばでの終わりを見届けてくれたなら、その名を呼んで縋ってしまったことを、叱ってほしい――そう願い緩やかに目を閉じたその時。

「まったく……二度も人を死の淵から叩き起こすとは……人使いが荒いにも程があるぞ、英雄様」

 夢でしか会えない人の、声が聞こえた。


chapter:1/いつか、ティル・ナ・ノーグの汀に


 殺せ、と頭の中で声が響く。
 白日のクリスタリウム。足を踏み出せども地に付いた感覚はなく、ぐらりと体が傾いでいく。
 急激に体内エーテルが乱れたことにより魔術行使もままならず、エメトセルクは石畳へと倒れ伏した。 
 これは紛れもなく、己の慢心が招いた失態だ。長く光を浴びすぎたのだ。英雄一行を見極めるため帯同した、ラケティカ大森林の旅路で欲を出した。終末の光景を描いた壁画の他に、キタンナ神影洞にはまだ何かあるのではないかと――あれを見た英雄が『何か』を思い出すのではないかと期待し、無尽光の下を歩いた時間は、許容値を越えていた。
 この世界は光に満ちている。イル・メグ、ラケティカ大森林、そして真っ先に光が祓われた此処レイクランド。大罪喰いの有する霊極性エーテルをかの英雄が身の内に取り込んだところで、世界そのものが失った均衡はそう簡単に戻りはしない。第十三世界がヴォイドの闇に落ちると同時に傾き出したそれは、百年前ミトロンとアログリフの失敗によって決定的なものとなり、この第一世界には光が溢れ返った。
 根城を水底に構えたところで、無尽光を避けて行動したとて、ノルヴラントの大地それ自体が、星極性の力を纏うアシエンにとっては毒なのだ。肉体の死や存在の消失へこそ至りはしないが――ゾディアークからの『揺り戻し』は、強烈な精神干渉となって理性を蝕む。
 殺せ、と。頭の中で声が響く。何を見定める必要があるというのか、所詮はなりそこない、最後には真なる世界を取り戻すための贄とするのだ――あんな矮小な命にこれ以上の期待をして失望するくらいなら、はじめから――……。
「……だいじょうぶ?」
 鈴の音のように凛と、その声は、暗澹と惑溺する思考を打ち払った。
「ええと……体調、悪いの? 憑依した肉体でも、そういうことってあるんだ……」
 まがいものに救われた、という事実に苛立ちが募る。緩慢な動作でもってエメトセルクが顔を上げれば、そこには今まさに脳裏で殺意を向けていた相手がいた。エオルゼアの英雄、光の戦士――そのような呼称の到底似合わぬララフェル族の、少女と見紛う幼さの女。しかし確かに、何度もエメトセルク達アシエンの計画に水を差してきた厄介な存在だ。
「っ……これはこれは、無様に這いつくばる敵に態々声をかけるとは、英雄様の慈悲深さには恐れ入るね」
 問いかけに皮肉を返せば、きょとりと女は目を瞬く。
「今は休戦中? みたいなものだし……知らない仲じゃないのに、目の前で苦しまれるのは寝覚めが悪いから」
 そして善性の体現が如き笑みを浮かべ、純白のドレスローブの裾を引きずるのも厭わず石畳に膝をつき、英雄はエメトセルクへと日傘を差し掛けた。
 まるで不調の原因を察しているかのような振舞いに、まさかと、エメトセルクは目を瞠り――。
「これは推測なんだけど……やっぱりこの世界って、アシエンにとっては居づらかったりする?」
 彼女はその期待に、応えてみせた。
 弱味に勘付かれたという焦りと、その魂の持ち主に相応しい慧眼だという歓喜。相反する感情の高まりに、拍動が速くなっていくような錯覚をする。
「何故……そう思った」
 逸る気持ちを抑え、努めて冷静に問う。日傘の作り出した陰の下で微笑む面差しに、似ても似つかない、太陽そのものの如き笑顔が重なった。
「自分の持つ属性とは真逆の極性に傾いた世界とか、普通に居心地悪そうだなって。戦場育ちとはいえ、これでも『軍学者』の端くれだもの。シャーレアンの賢人なんて呼ばれてるみんなには敵わないけど……エーテルに対する感受性は鋭敏な方だと思うよ、わたし」
 言われてみれば確かに、ラケティカ大森林で視ていた英雄の戦いぶりは、エーテルや極性の何たるかを本能的に理解している者のそれだった。息をするように当たり前に、最適化された魔力操作をしてみせる――天賦の才。
 やはり同じなのだと、信頼して然るべきだと理性が唆す。
 そんなはずがない、計画に支障を来す前に殺してしまえと狂気が囁く。
「それで、どうするの?」
「どう、とは何をだ」
目の前の女が、在りし日の陽だまりのようにも、極光の化け物のようにも見える。狂い落ちてその喉笛を引き裂いてしまえば楽になれると、ひどく暴力的な思考が再び、エメトセルクの精神を蝕んでいた。
「ずっとここに倒れてるわけにもいかないんじゃない? 人目もあるし……今日は晴天で日差しも強いし。あなたの不調は、医療館で診てもらって治るものなの?」
「いや……」
 そんな事情を露ほども知らぬ女は、未だ真剣に、エメトセルクを助ける方策を探しているようだ。
「わたしの仲間に……は、相談しない方がいいよね」
「……まあ、できれば避けたいところではある」
「どこか安全な場所に転移するとかは?」
「転移自体はできないことはないが、最悪、次元の狭間に落ちるだろうな……だが」
 落ちたところで、死にはしない。この肉体は捨て去る羽目になるだろうが、また別の器に憑依すればいいだけのことである。
「じゃあ――はい」
「何だ、その手は……」
 だから捨て置けと、そう告げようとしたのに、英雄はエメトセルクの眼前にその小さな手を差し出した。小さな――本当に小さな手だ。魔導書を手繰り、時に大剣を振りかざし、幾千幾万の命を導き或いは屠ってきたとは思えぬ程の。
「手を繋いでいれば迷わないでしょう? わたしが目になるから、一緒に行こう?」
 眩暈がする。息の仕方を忘れてしまいそうだった。権謀術数の只中、鉄火場の最前線を渡り歩いてきたはずの女が、あまりにも警戒心がなさすぎる。
 その手を引いて、善意で分け与えられたエーテルを悪用して。誰の助けも来ない場所――たとえば、アシエンたちが追いやられた月の虚だとか――へと連れ去り誅殺することなど容易いのに、英雄は少しも、エメトセルクにそのように害される可能性を考えてもいないのだ。
「ハァ……私の負けだ」
「なにが?」
「お前は知らなくていいことだよ……」
 こんな底抜けのお人好し相手に、害意を向けるなど馬鹿らしい。いちいち疑うのも時間の無駄だ。
 もう一度、盛大に溜め息を吐いてから、エメトセルクは英雄の手を取った。清廉な魔力が流れ込む。実際に触れてみて改めて、とても小さいのだと実感する。
 転移魔法を行使するために少しだけ力を込めると、彼女は僅かに顔を顰めた。気がかりではあるものの魔法の発動を中断するには遅く、降り立つべき座標を手繰った瞬間――エメトセルクの脳裏を、映像が過ぎった。

+++

 在りし日のアーモロートによく似た街並み。
 錬金薬が整然と並ぶ研究室。
 焦った様子で何かを言い募るララフェル族の少女は、胸に白いクリスタルを抱いている。
『ルイゾワ様、お願いです! どうかわたしも、わたしの力も、この星の――』

+++

「エメトセルク……?」
「……!」
 泡のように、過去視と思しき何かが弾ける。
 英雄がいたく心配そうに、床に座り込んだエメトセルクを見下ろしている。チカチカと明滅する視界に映るのは、ペンダント居住館の彼女の居室だろう。何度か都市の主には無断で立ち入った空き部屋と、概ね内装は同じである。
「だ、大丈夫? わたしのナビが悪かったかな……今ので余計に具合悪くなっちゃった……?」
「ああ……いや、酔いやすい状態だっただけだ……」
 元々不調だったところに、サポートがあったとはいえ転移魔法を使い、その上意図せぬ形で誰かの記憶を視たのだ。如何にアシエンといえど、肉体に憑依したままそのような無理筋を通せば倒れもする。
「とりあえず、ベッド使って! 座っても寝ても好きにしてくれていいから……あと、あと、お水持ってくるね」
 虚勢を張る気力もなく、ぱたぱたと忙しなく走り回る彼女の厚意を素直に受け止めたエメトセルクは、ララフェル族には大きすぎるであろうベッドに寝転がった。汎用性と言えば聞こえはいいが、あまりに不釣り合いが過ぎる。
 体を横たえたとはいえ、こんな場所で眠気が訪れるはずもない。手持ち無沙汰で脳裏を過るのは、先ほど『視た』あの記憶だ。
 ルイゾワ・ルヴェユールと話していたあの少女は、やはり目の前のこの女なのか。だとしたら何故、一介の冒険者から成り上がり、救世詩盟の流れを汲む組織に改めて加入する必要があった。
 まさかカルテノーから忽然と姿を消した当時の『光の戦士』が、別人として舞い戻ったと言うのか――……?
「お前……冒険者になる以前は、何をしていた?」
「んと、んーと……え? どうしたの急に」
「なに、世間話だよ。深い意味はないさ……」
 薬品棚を漁り、ああでもない、こうでもないと右往左往している女に声をかける。経歴を秘匿しているのか、或いは。
「そう言われても……覚えてないから、何とも……」
「覚えていない、だと?」
 或いは記憶を失っているのかと推察し尋ねた結果、どうやら後者であるらしい。
「うん。第七霊災以前の記憶がないの、わたし。気づいたらキャリッジに乗って、ウルダハに向かっていて……一般常識と基本的な魔力操作以外、何も覚えてなかったみたい。自分の名前も」
 それは、悪いことをした――とは思わないが、記憶を失った原因の一端は間違いなく自分たちアシエンである。
「あ! だ、大丈夫だよ? それで恨んで寝首を掻いたりとかしないから……!」
 何と言葉を返すべきかと答えあぐねる内、この件に関して言えば被害者であるはずの女に、気を遣わせてしまった。
 ともあれ、当人が覚えていないことをこれ以上詮索したところで、徒労に終わるだけだろう。忘れたことすら忘れた記憶を無理やり抉じ開ける術も無いではないが、未だエメトセルクには――あの魂を毀損する覚悟が、できずにいた。
「ちゃんと診てあげられたらよかったんだけど、前例がないからどうしていいか……」
 水差しとグラスを盆に乗せて戻ってきた英雄は眉尻を下げ、気落ちした様子である。
「……休める場所を提供してくれただけで充分だ。あまりお人好しが過ぎると付け込まれるぞ、英雄様」
「うう……でも、苦しんでる人を自分の腕では治せないのは、やっぱり嫌だよ。わたしにできること、ないかな?」
 患者を救えないことに苦しむありようは、根っからの癒し手と言うべきか。
 あまりにもまばゆく、その優しさが痛いばかりで――少しだけ魔が差した。傷つけたかったわけではなく、おそらくは、困らせたかったのだと思う。
「エーテルの譲渡、或いは交感……」
「?」
「体内エーテルのバランスが正常な者、若しくは異なる極性に傾いた者との間で魔力を交わらせることだ」
 エメトセルクが口走った『それ』に、英雄は心当たりがない様子だ。無理もない。分かたれたヒトの営みに混じって生きてきた中でエメトセルクがその術を彼らに教えることはなかったし、暁の血盟――シャーレアンの源流たるヴェーネス派は、理性と知性を重んじるアーモロートの市民の中でも、特に潔癖な者たちが集っていた。
 否――降ろした神の特性に拠って、『そう』在らざるを得なかった。あの者達が、エメトセルクの提案しようとしているエーテル交感術に関する記録を遺していたとして、一部の指導者のみが閲覧可能な禁書扱いだろう。
「……つい先程、お前もやっていたぞ」
「え、そうなの?」
 転移魔法の道標となるため、体の一部を接触させることでエーテルを分け与える。先刻この女がやってみせたのも、簡易的で『健全』な同種の術だ。合点がいかない様子で首を傾げる英雄は、無意識で魔力を操作していたらしい。エーテルに対する感受性が鋭敏だと、自負するだけのことはある。
「あれ、でも……霊極性に傾いた第一世界にいることで具合が悪くなってるんでしょう? 今更だけど、ハイデリンの加護を受けて、大罪喰いの光まで取り込んだわたしが、傍にいるだけでもつらいんじゃ……?」
 正確には霊極性そのものの影響ではなく、ゾディアークの抗体反応のようなものだが、エメトセルクは彼女の誤認を特に訂正はしないことにした。
 ただでさえ――多少、この女を評価に値する人材だと思い始めているとしても――なりそこないに弱った姿を見られている現状は不本意極まりないのだ。これ以上、正確な情報を開示してやる義理もない。
「いいや、今のお前はまだ、取り込んだ光を制御できているからな。環境エーテルの苛烈さとは訳が違う。それにエーテルの交感は外ではなく、内から行う――手を繋ぐ程度でもできることはできるが、最も効率が良いのは」
「効率が良いのは……? きゃっ」
 細い腕を掴めば、女は小さく悲鳴をあげる。
 彼女が盆ごと取り落した水差しとグラスが床に転がるのも構わず、エメトセルクはそのいとけない体を己の胸元へと抱き込んだ。認めるのは癪だが、こうして腕に抱いているだけでも充分に、緩やかに滲み出る清廉な魔力が苦痛を癒し、和らげていく。
「快楽を伴う接触による精神の感応、及び体液を通じた魔力の摂取……平たく言えば性交渉だな」
 このような、俗物めいた物言いをしたのはいつ以来だっただろう。ひゅっと、喉を引き攣らせるようにして女が息を呑む音を聞いて、少しばかり溜飲が下がるような思いがした。
 そうだ――それでいい、光の使徒。
 確かに手を取り合える可能性を提示はしたが、いくらなんでもこの英雄は、アシエンに対する猜疑心がなさすぎる。男に対する警戒心も。
 これはエメトセルク自身の、ではなく一般的な美醜の感覚における見解だが。種族特有の幼気さと愛らしさに成人相応の化粧っ気を併せ持ち、大胆にデコルテと大腿を露出したドレスローブを纏った癒し手の女が、献身的に看病をしてくれる――などという状況は、のぼせあがった愚かな男が、妙な気を起こしても不思議ではないのだ。そして嘆かわしいことに、手を出す側に絶対的な否があるという当たり前の前提を、理解できない輩は多い。
「なんてな……冗談だよ。私がお前を抱いたら、それは暴力だろう」
 悪辣な冗談を言ったのは、英雄が驚き、困惑し、少しくらいはエメトセルクを警戒してくれた方が接しやすいからだ。
 無条件で信用され、掛け値のない善意を向けられては、今後何かと動きづらい。『男』として食指が動かないと言えば嘘になるが、ララフェル族の中でも特に小さい部類の彼女に体格差を度外視して無体を働くような残虐性を、エメトセルクは持ち合わせてはいなかった。
 だから、たちの悪い冗談で終わるはずだったのだ――なのに。
「いいよ――わ、たし、処女じゃないもの……」
 かたかたと震え、頑是ない指先でエメトセルクの胸に縋りながら、女はそう口にした。
「へいき、だよ。ガレアン人、じゃなかったけど。大きい種族の男の人に、されたこと……ある……」
 精彩を欠いた声音、青褪めた面持ち。デューンフォーク固有の淡く濁った虹彩は常時よりいっそう焦点を失っていて、言葉の端々からも――その性交に彼女の同意はなかったのだということが、十二分に伝わってきた。
「英雄も、服を剥いでしまえばただの女だって……」
 汚名を漱ぎ、再び足を踏み入れることの叶った砂都の片隅で、その陰惨な暴力は牙を剥いた。数人がかりで押さえつけられ、無理やり抉じ開けられた小さな秘所は指の一本だけで破瓜をした。性器を挿入された時は死んだと思った――青白い顔で淡々と、女は語る。
「もう、いい。やめろ……」
 聞くに耐えなかった。この者が、なりそこないどもの醜悪な振る舞いによって毀損されたというその事実を。
「すごくあつくて、いたくて、わたし……気づいたらそいつらを、殺して――」
「もういい、《――》!」
 ――アゼムという座の名でなく、かの者の真名でもなく、エメトセルクは気づけば英雄の名を呼んでいた。抱き込んでいた体を解放し、その肩にブランケットを掛けてやる。
 分かたれたヒトに対する軽蔑の念と同時に、許せないと、ただそんな感情が沸き上がった。その魂の持ち主を、ではなく、この女を傷つける者など許せないと――まるで。
「悪かった……軽率だった。エーテルの交感など不要だ。もう二度とお前に性を匂わせる話はしないし、許可なく私から体に触れることもしないと誓おう」
 まるで大切に思う者を害された時のような、あってはならない青い感情が。
「どうして、そんなに……優しいの……?」
 こぼれ落ちそうな瞳に、薄く張った水の膜が揺れている。
 今にも泣き出しそうな顔で、しかし決して涙は零さないままで、英雄はエメトセルクに問うた。
「優しいんじゃない。当たり前のことだ。人として当たり前のことを、言っているだけだ」
 そうだ――怒りの理由など、それだけだ。取るに足らない、到底生きているとは呼べない命だとしても、その尊厳を踏み躙られていい理由などない。だからこれは同情だ。決して特別な感情などではなく、当たり前の道徳心と、人類を在るべき場所へ還す者としての責務なのだ。
 そう、エメトセルクは理解している。計略のため犠牲にした、分かたれた命たちの――運命に淘汰され、塵と消え、ある者は凌辱され、またある者は飢えて死んだ数え切れぬ命たちの、報いを受けることをわかっている。為すべき正義を為したいつかの未来、この身は間違いなく磔にされ、業火に焼かれつづけるだろう。
 わかっている。そんなことはもうずっと昔、同胞たちをゾディアークに贄と捧げた時からわかっているのだ。
「……でも。わたし」
 暫しの沈黙の後、おもむろに英雄が口を開く。
「やっぱり……エメトセルクが苦しんでるの、黙って見ているなんてできないよ」
 そうしてブランケットを脱ぎ捨て、自らエメトセルクの胸へと飛び込んできた。
「なっ……お、お前……!」
 目を瞠る。想定していたのとは違う形だが、確かにエメトセルクは彼女の信用を失ったはずだ。なのに何故、まだ助けたいなどと思える。自身の心的外傷を抉るような、リスクの高い献身をもって。
「……あのなあ。私は間違いなくお前が恐怖を感じる類の、体格が大きい種族の男だぞ」
「だって……あなたはわたしを、いずれ違えた道の先で殺すかもしれないけど……絶対に辱めたりしない。違う?」
 未だ血色が戻りきってはいない面差しのまま、目を逸らすことなく、毅然として、女は尚も言い募る。
「……わたしの痛みに、誠実さを返してくれたあなただから。されてもいい……ううん、触れて、教えてほしいと思った。痛くて怖いだけのことじゃないって。それであなたの『治療』にもなるなら……わたしにとってそれは、意味のあることだから」
 取るに足らない命であるはずの目の前の女に己が翻弄されていることを、エメトセルクは認めざるを得なかった。
「ハァー……まったく……。自棄を起こしているわけではないな?」
 そして確実に――突き放すつもりがいっそう、絆されはじめているということも。
「自棄になってたら、もっと悪い相手を選ぶよ」
「~~っ……わかった。だが、条件は付けさせてもらうぞ」
「条件……?」
 治療という口実がなくとも触れたいと、願ってしまっている。性愛や肉欲の対象ではなかった旧知の友と、同じ魂を有するこの女に。
「もう無理だ、怖い、耐えられない……と思ったら『――』と言え」
「それは、なに? 何かの……誰かの、名前?」
「さてな。お前がそれを知る日が来るかもしれないし、知らずに終わるかも、だ。ともかく、お前がその言葉を口にしたら、私はそれ以上何もしない。どんな状況であってもな」
 遥か昔、真なる人の世界にも性交渉は存在した。精神の結び付きが重要視される社会であったために、盛んに行う者がいなかっただけで。エメトセルクにも当たり前に経験があったし、当たり前に肉欲があった。いつか為す混沌、そして遂げる統合のために、分かたれたヒトとも幾度となく交わってきた。妻とした女と、或いは献上された一夜の花と。
 そのいずれとも――ちがう。この女は違う。
「ええと……ちゃんとするときって、どうすればいいのかな……自分で脱いだ方がいいの?」
 不安げに問うてくる彼女の痛ましさに、エメトセルクは胃の腑がひりつくような不快感をおぼえる。こんなにも清冽なエーテルの持ち主を、汚した者たちが許せなかった。何度も期待しては裏切られた『なりそこない』の中には見込みのある者もいたが、一時の快楽のために平気で他者を踏み躙る獣じみた連中も後を絶たない。この英雄の才覚や心根に期待を寄せるほどに、彼女を害した愚か者どもが、不完全な命たちへの失望を増幅させていく。
「いいや――何もしなくていい。力を抜いて、そのまま私に身を委ねていろ」
「う、ん……わかった……」
 女は頷き、エメトセルクの胸元に頬を擦り寄せてくる。
 ――誰がそこまで無防備になれと言った。などと窘めれば萎縮させてしまいそうで、その頭をそっと撫でるに留めた。
「んう……ぁ、」
 子猫のように縋り付いてくる手のうちの片方を捕まえ、グローブと肌の隙間に指を捩じ込めば、擽ったそうな吐息が漏れる。そのままくるくると、掌の浅瀬を指の腹で撫でてやる。一度は血色を失った頬が、花開くようにじわりと朱く色づいていく。
「それにしても……小さいな、本当に」
「あなたの、手が……おおきす、ぎ、ふ、ぅあっ」
「覚えておけ。これからお前を抱く男の手だ」
 性行為にトラウマがあるのならもっと時間が掛かるだろうと思っていたが、想定を越えて反応が良い。艶めいた呼吸をする女の体からは淡い虹色のエーテルが滲み出して、ソレは小さな両の手のグローブを取り去り、手首から指先の隅々までを撫で尽くした頃には、エメトセルクのエーテルバランスの乱れによる失調を、半分ほどは癒してしまった。
「あ……え、なに、ふわふわ、する……」
 とろけだした幼いかんばせも、声も――少女のように可憐で、娼婦のように淫蕩だった。理性など、まるで歯が立たないくらいに。虚ろの心臓が、脈拍を速めたと錯覚する程に。
「魔性だな……」
「……?」
 首を傾げる女の体を反転させ、強く抱き寄せる。ちょうど自身の手が触れたみぞおちよりも、更に上か――とすべて収めた場合の想像を嘆息と共に振り払い、コルセットのリボンを解いた。そうそう簡単に割れるような作りではないだろうが念のため、ガーターベルトに固定された薬品アンプルも今のうちに外しておく。
「は、あ……ぁ……んん、ふ……っ」
 たっぷりとフリルをあしらった真白の布の上から、慎ましやかな部類にしては発育の良い胸を揉む。片手でも充分に届いてしまうところを両手で、丁寧に。しかし次第に、服の内側で下着がずれていくのまでは構う余裕がなく、ついにエメトセルクの指は、ある一点を掠めてしまった。
「あっ! あ、だめえ、そこっ……!」
 布越しにかすかな突起の感触。まだ性急すぎるかと避けていたのに、偶発的に起きたそこへの刺激で、女はびくりと震え、内腿を擦り合わせた。
「ひ、だめ、だめなの、こんなっ、あぁっ」
「ほう……何が、どう、だめなんだ?」
「はず、かし……ずれちゃって、る、服こすれるの、きもちい、あんっ」
 恥ずかしい、と女が身を捩れば捩るほど、エメトセルクの手に胸を押し付けているような格好になる。ここが感じるのなら話は早い。彼女にとって暴力でしかない強引さで事を進めさえしなければ、もう過度の遠慮は要らなさそうだ。
 擦れて固く隆起していく乳首を撫でて、抓んで、爪の先で引っ掻いて――繰り返せば形がはっきりとわかるくらいに熟していく。
「はあ、はっ……うう……わ、わたし、こんなにエッチな女だったんだ……」
 すっかり息を荒くし頬を紅潮させた女は、またも無自覚に魔性じみたことを言う。
「悪いことではないだろう。少なくとも私にとっては、お前が乱れてくれた方がエーテルを交感しやすい……」
 己が獣性を呼び覚まさぬよう平静を装い、エメトセルクは彼女を宥め、尖った耳の先に軽く口づけた。
「ひゃうんっ」
「ああ、失礼。耳も敏感だったか――だが」
 乳首を捏ねるのを左手に任せ、右手はぽってりとして見えて意外と筋肉質な腹を撫で、鼠径をなぞり、きゅっと閉じられた股の間へとねじ込む。ショートパンツとショーツの上からでは正確な場所はわからないが、この分だと大まかな刺激だけでも届いてしまうだろう。
「そろそろ、こちらにも触れるぞ」
「っあ、ひう、ふ、ぅうう~~」
 ところがいざ触れてみれば、蜜壺を覆う布はしとどに濡れていた。濡れて張り付いて、盛り上がった形が指先に伝わる。さすがに布三枚を隔てて弄るのは煩わしく、エメトセルクは一瞬迷った後、自らの手を覆う白いグローブを魔術で消し去った。左手の分はまだ残しておいてもよかったが、いずれどちらも外すことになるのなら、一度で済ませてしまった方が効率が良い。
「こんなに濡らして……ああ、ここか。おかげですぐに見つかった」
「んぁあっ!」
 奥ゆかしく潜んだ陰核を探り当てる。胸をまさぐったままそちらも押し潰し、捏ね回すようにして刺激してやれば、びくん、と大げさなほど、腕の中に閉じ込めた体が跳ねる。
「あぅ、あん、ら、め、ぐりぐりらめ、わた、ひ、もうっ」
 限界を訴える声は甘ったるく呂律も曖昧で、毅然と敵に立ち向かい魔法を詠唱する時の凛々しさとは程遠い。きゅううと収縮する膣の震えが恥丘へと這わせた指に伝わって、まだその時ではないと言うのに、入りたいと気持ちが逸る。
「いいぞ、そら……いつでもイけ」
 英雄も服を剥いでしまえば――などとのたまった下衆どもの言い分を理解してしまいそうになって、エメトセルクは自己嫌悪に歯噛みした。
 そもこれは、ただの女、などではなく極上の――……。
「や、ら、やっ、こわい…イくの、はじめて、でっ、あ、あぁあ、ひンっ、~~……!」
 声にならない悲鳴と共に、女は果てる。
 過去の望まぬ性交は論外としても、自慰ですら達したことがないのだと口走るものだから、仄暗い悦びをおぼえずにはいられない。
「は、あ……はあっ……あぁ……っ」
 初めて経験した絶頂の余韻に喘ぐ英雄の、こめかみにキスを落とし頬を撫でる。まろく柔い、弾力を持った頬のあどけなさと、見せつけられた痴態とのアンバランスさに眩暈がする。下着ごとショートパンツをずり下げ、片脚を引き抜いて抱え上げれば、しとどに濡れそぼった割れ目から、糸引く愛液が滴った。
「ひゃんっ! や、やだっ、何して……!」
 膣口に指を滑らせ、掬いあげた蜜を舐め取る。とろりと濁る体液に凝縮されたエーテルの濃度は、大気に溶け込むように滲み出ていたものとは比べ物にならない。ほんのひとすくいが喉に落ちただけで、エメトセルクの不調は、すっかり快癒してしまった。
「体液を通じた魔力の摂取、と言っただろう?」
「そ……だけど、だめ! 掬って、な、舐めるなんてっ!」
 だから、ここから先は――これ以上彼女に触れるならば、治療という名目を逸脱する。ただ交わりたいがためにそうすることになるのだと、理解した上でエメトセルクは、女の幼気な体を仰向けに押し倒した。
「ふむ……なら、直接いただくとしようか」
「へ……ぁ、や…っ、もっとだめっ、そんなのされたら、わたし――」
 むっちりとした大腿を大きく左右に開かせ、びしょ濡れの秘所を剥き出しにする。顔を近づければエメトセルクが何をしようとしているか女は理解したようで、恍惚とした表情で形ばかりの制止をされた。
「あぁんっ! あ、ぁ、あ~~っ……!」
 そこに取り決めた言葉はなかったから、容赦なく吸い付いて、溢れ出した汁を啜る。先ほどまでの行為でどれだけ感じたのか、今与えている刺激によって際限なく快感を得ているのか、後からあとから半透明の滴は溢れだす。
「ヘンに、なっひゃ、あぁっ、あ、やら、やああっ!」
 舐め回して、分泌を促すように陰唇や会陰を撫でて、と繰り返す内に、嬌声も涙混じりに濡れていく。包皮がめくれてぴんと勃ち上がった花芯を吸い上げると、いよいよすすり泣くような様相になった。
「ぁひっ、そぇ、ら、めッ、イっちゃ、あううっ」
 努めて彼女に存在を悟らせないよう立ち回ったが、かりそめの肉体のペニスは、服の下で痛いほど張り詰めている。早く、その蕩けきった膣に突き立てたいと叫ぶ獣じみた欲望を抑え込むために、ゾディアークの精神干渉に対抗するのと同等の気力と理性が必要だった。
 こんなにも小さな、扱いを間違えれば簡単に壊れてしまいそうな体を、快楽を教え込んだ傍から抱くような乱暴な真似をしたくない。それはエメトセルクの矜持であり、信念であり――何度も繰り返し己に言い聞かせねば危ういほど、女は淫らで可憐だった。
「ふ……だめ、と言う割に、さっきから自分で乳首を弄っているだろう?」
「え――あ、ぇ……え、」
 指摘してやれば、とろんと蕩けていた彼女の瞳が驚愕の色に染まる。エメトセルクが蜜壺に口淫を施しはじめてから程なくして、女は自ら胸を露出させ、固く尖った乳嘴を抓んで捏ね回していた。
 おそらくは、無意識のうちに。
 先刻目の前の男に与えられたオーガズムを忘れられずに。
「う、そ、わたし……やだあ……っ」
 焦った様子で手を離して、ささやかながらも形良く膨らんだ胸があらわになる。
「どうした? もうしないのか?」
「できない、よ、も……恥ずかし、からあっ、でも、でも……っ」
羞恥に赤らんで涙を流す彼女の表情も、薄紅色に色づきせつなげな突起も、愛撫を待ち望んでいるのは明らかだ。
「……きもち、いいの、欲しいの……っ! だ、だから、おねがい、乳首もシて……っ」
 だがそれを彼女の口から言わせたい、と、熱に浮かされた思考が頭を支配して。その通りになったことに、あさましくも歓喜している。
 ――これは、溺れるなと言う方が無理だろう。
 脚を大きく開かせたままで、腰を高く抱え上げる。期待に震え、てらてらと涎を垂らす花肉に唇を寄せ、エメトセルクは再び、女を性感の渦へと追い立て始めた。
「脚は自分で、押さえていろよ――……ん、」
「う、ん……んあっ、ふぁあ、はうっ……」
 内腿や臀部に伝った愛液を舐め取りながら、触れるか触れないかのギリギリで乳首を弾く。焦らして、焦らしていよいよ煮詰まった面持ちで彼女が懇願を口にしそうになったところで、先回りして強い刺激を与えてやる。
「あーッ、あン、そえすき、」
ひくつく膣に呼応してふるえるクリトリスを食み、いたいけな乳頭を指の腹で押し潰せば、いよいよ堪らないと、女は身も世もなく喘ぎ、はしたない言葉までも口走った。
「っ……こうやって、同時に捏ねるのが、か?」
「ん、いいっ、いいのっ、すき、ちくびすき……っ」
「ハ――まさか、そちらの方が『好い』とはな……」
 初めて真っ当なセックスをしたというのに、素質がありすぎる――或いは相性が良すぎるのか。
「はあアっ、あ、ぁ、あえ、あぁあ~~っ!」
 腰をくねらせ、大きく体を震わせて昇り詰めると同時に、女は気を失ってしまったようだ。興が乗ったとはいえやりすぎたかと自嘲する。
 そのあどけない寝顔を見つめながら、頭を撫でようと手を伸ばした途端、エメトセルクの意識もまた混濁しはじめる。
「っぐ……精神感応、か、何故……!」
 何故、真なる人であるはずの自分が、強制的な精神の同調を拒めないのか。その答えに見当も付かぬまま、誰かの過去へと視点は導かれ――……。

+++

 砂の大地に、土煙と炎が爆ぜる。石造りの建物と天幕とを、忙しなく人々が行き交っている。
 ふと見上げれば、砂煙の中にラールガー星導教のシンボルがちらつく。どうやら、アラミゴ解放軍の拠点が何者か――ガレマール帝国軍の、襲撃を受けた直後であるらしい。
『あ……ああ……痛い、痛い……』
 虫の息、といった様子の兵士たちの呻き声が、そこかしこから聞こえてくる。そのうちのひとつの傍らに見知った魂の輝きを見つけて、エメトセルクはそちらへと足を向けた。
 この記憶へとエメトセルクを誘った光の使徒――ララフェル族の女が、その小さな手には使い込まれた魔導書を携え、力なく横たわる兵士の傍らに膝を付いている。いつもと違うことがあるとすれば、術式を補助する役目を担う妖精が、彼女のもとに喚び出されてはいないことか。 
『痛、い……暁の……英雄、どうか……』
 それも当然だろう。その兵士の残った片腕には、黒色のタグが付けられているのだから。もう手の施しようがないと判断を下され、死にゆくさだめの命。戦場では儘ある光景だ。
 縋り付かれローブが血で汚れても、女はそれを厭うことなく、致命傷に喘ぐ者の、額の汗を拭ってやる。
『大丈夫。いま薬を使ったから、すぐに痛くなくなります』
 そうして――小さく、魔法に秀でた人間でなければ聞き取れない音で詠唱をした。額に当てたてのひらから微弱に光った薄紫のエーテルが兵士を包み込み、途端にその者の呼吸が和らいでいく。
『ああ……帰り、たい、ただ、帰りたかった……の、に』
『ええ――大丈夫。帰れるから、今は安心して眠って』
 あの魔法は確か、と思い至るより先に、安らかな表情を浮かべた兵士が事切れる。
『おやすみなさい。どうか、幸せな夢を』
 魂の安らぎを祈る彼女の微笑みを、天使或いは聖女と、衆愚は讃えるだろう。
 しかし違う。軍医の領分を越えて助けようと足掻くでなく、定めだからと見捨てるでなく、閑やかに介錯をする姿は英雄のソレだった。あのゼノスと渡り合ってみせる戦闘時の獣性などよりも、彼女が英雄たる本質はそこにある。
 涙ひとつ零すことなく、女は立ち上がり歩き出す。
 まだ助かる者を救うために。
 もはや助からない者を、手にかけてでも苦しみから解放するために。

+++

 ぐらりと脳を揺さぶられるような不快感と共に、過去視から覚める。辺りは砂塵吹き荒ぶアラミゴではなく、ペンダント居住館の、英雄の居室だ。記憶の中で凛と揺るがず戦場に立っていた女は、情事の跡が色濃く残るベッドに、しどけなく肢体を投げ出している。
 眠る彼女の頬を指先で撫で、エメトセルクはハ、と嘆息をした。視せられた過去が過去だけに、あれほど昂ぶっていた肉体はすっかり落ち着いてしまっていた。みっともなく自慰をする羽目にならず済んだ、という点で己のプライドは守られたが、行き場を失った情動は燻って、次の機会を待ち望んでいる。
「ああ――本当に、」
 ――愛おしい。
 こんなものはヒトではないと切り捨てるにはあまりにも気高く、不器用で、己の責務に誠実であろうとするその姿が。
 ――生きていてほしい。
 どうかその魂も、肉体も尊厳も、脅かされ踏み躙られることなどなく。
 弱くとも末永く、健やかに。
「厭になる……」
 この腕に我が子を抱いた時と同じ、情が。
 それ以上にたちの悪い、焦がれるような思慕が。
 どろりと胸に落ちて、沈殿していく――……。


chapter:2/どうか名付けないで


 ペンダント居住館の居室に、荒い息遣いが響く。
「はあっ……ハ、けほ、は……あ……っ」
 浅い呼吸と乾いた咳とを繰り返して、ブランケットを手繰り寄せることもままならず、冒険者はひとり、広すぎるベッドで苦しみ悶えていた。
 最初の大罪喰いの光を取り込んだ時には、己の行き着く先をわかっていたように思う。あのときスリザーバウで、ヤ・シュトラとウリエンジェの話を盗み聞きするまでもなく、いずれ答えに辿り着いただろう。もとより冒険者は、人一倍、エーテルに対する感受性が鋭敏だった。
 アム・アレーンの空を白く濁らせていた大罪喰い・ストルゲーの光を取り込んで以降、いよいよもって体内エーテルの均衡は大きく崩れ始めていた。
 体組織を内側からめちゃくちゃに掻き回されるような激痛が、意識のあるあいだじゅう続く。
 耐性を付けるために毒を飲んだ時の苦しさなど、比ではなかった。いっそ殺してくれと叫びたくて――。
「テス、リーン……あなたもこんな気持ち、だった……?」
 ――抗って、藻掻いて、それでも呑まれてしまった彼女を思い出す。涙のような何かを、眼窩の虚から垂れ流して飛び去った彼女の成れの果ては、ホルミンスターでアリゼーに討たれた。
 わたしが化け物に成り果てたら、誰が殺してくれる?
 そんな問いばかりが浮かんでは、激しい頭痛に掻き消されていく。
 水晶公を、信じていないわけではない。己の推論が正しいのならば、彼はきっと、遠い未来に置き去りにしてしまった友人だ。自惚れでなければ、彼も自分を友人だと思ってくれているだろう。
 けれど――それは、世界のためにたった一人を切り捨てない絶対の理由にはなり得ない。最終的な対処、というのが冒険者を人柱とする方法ではなかったとして、それが成功する保証もないのだ。
「う――ぶ、げほっ、が、はッ……」
 猛烈な吐き気に襲われ、口から出たものは、食べ物でも胃液でもなかった。ラケティカ大森林での討伐を終えた頃には味がわからなくなっていたから、殆ど食事は口にしていないが、それゆえ――というわけでもなく。
 白い、おぞましいほど白い、濁った光を放つ何か。
 それが霊極性エーテルを凝縮した塊だということを、嫌でも理解せざるを得ない。
 表面上はまだ人間の姿形を保っているが、中身はもうとっくに、埒外の化け物へと変貌しているのかもしれない。
 ――もう、だめなのかな……。
 そんな弱音が、胸に巣食う不安と絡まって、鉛のように全身が重たくなりはじめたとき。
「これはこれは……随分と酷い有様じゃないか、英雄様」
 うたうように、皮肉を紡ぐ声。
 突如として空中に生じた次元の裂け目から、そのひとは姿を現した。
「エ、メト、セルク……」
 こんなときに嫌味を言われても困るとか、勝手に部屋に入られて、あまつさえ弱っている姿を見られたくないだとか、言いたいことは沢山あるのに。
「だめ……わたし、もう、だめかもしれない、から……」
 譫言のように冒険者が口にしたのは、そのどれでもなく、彼の身を案じる言葉だった。
「だから来ないで……殺し、ちゃう……」
 どのみち最後には、わかりあえず殺し合う敵となるかもしれない。この身が光の化け物へと堕ちたところで、アシエンである彼には傷ひとつ付けることはできないかもしれないけれど――それでも、痛いことには変わりない、はずだから。
 第一世界の傾いた極性に当てられて、あんなにも苦しんでいた姿を忘れられない。不滅なる者であるはずの人が、あれほどまでに苦痛を感じるのだという恐怖。それから、なぜだかわからないけれど、傷ついてほしくないという感情が込み上げて、手を差し伸べずにはいられなかった。
「ハァー……まったく……こんなになってまで他人の心配か? 献身も行き過ぎると狂気だぞ」
 嘲笑だとか失望だとか、そんな反応をされるとばかり思っていたのに、冒険者に苦言を返すエメトセルクの表情はひどく辛そうだった。
 一歩、また一歩、芝居がかった仕草でゆっくりと、彼が近づいてくる。だめなのに、殺したくないのにと、距離が縮まるごとに体は硬くなり、息が苦しくなって。
「……助けてやろうか」
 すり、と――手袋に覆われた大きな手が頬を撫でた瞬間、嘘みたいに全身の痛みが和らいだ。触れられた皮膚が少しだけひりつくのは、おそらく、体内に渦巻くものと相反する星極性のエーテルを感知しているためだ。
「たす、ける……?」
「この前の『治療』を、今度は私が、お前に施してやろうと言っているんだ」
治療、と言うのはあのエーテル交感のことか。
 異なる極性同士で傾いたバランスを中和させる――そのためには性交渉による体液の交換と、精神の感応が最も効率が良いのだと言われて、冒険者はこの男と褥を共にした。
 あれ以来エメトセルクが不調に苦しんでいるような姿は見かけないので、『治療』に効果はあったのだろう。
「でも、この前だって、わたしも助けてもらったよ……? 怖くなくて、気持ちいいこと、たくさん……」
 とはいえ、あの触れ合いの間ずっと、冒険者はただ翻弄され、気持ちがよくて、蕩かされてわけがわからないままで、ひとりで気を失ってしまった。そのまま翌朝まで眠ってしまい、目覚めた時には体もベッドも服も、何もかも綺麗に清められていたのだ。
 最初から最後まで優しくされて、トラウマを拭い去ってくれて、どう考えても自分の方が多くを貰っている。なのにまた貰いっぱなしになってしまうのは、とても申し訳ないことだと思えた。
「まあ、こちらとしても、こんな道半ばで裁定が終わるのは不本意だからな……それで貸し借りは無しだ」
 ――本当に? わたしが斃れれば目障りなハイデリンの使徒がいなくなって、この世界は遠からず統合されるのに?
 また一方的に貰ってしまうだけのような気がする。そう思いながらも冒険者は、自身の抱いた欲求に、抗うことができなかった。
「わた、し、まだ……しにたく、ない……」
 体を滅茶苦茶にされる苦しみから、解放してほしい。
 絶望も恐怖も痛みも何もかも忘れてしまうくらい、気持ちよくなりたい。
 あさましさを恥じて熱くなる頬を、手袋を外したてのひらが再び撫でる。
「……触れていいんだな?」
「う、ん……おねがい……あなたの、」
 エーテルが、たべたい。
 殆ど吐息のようにけだものじみた欲望を囁いて、気づけば自分から、口づけていた。
 けれど――すぐに怖気づく。この前はキスなんてしなかった。唇と唇を重ね合わせて、そこからどうすべきか、などわからないし、それは特別な相手にだけ許すものだと撥ねつけられるかもしれない。
「ぁ……ご、ごめんなさ――」
 しかしそんな不安に駆られた冒険者に与えられたのは、冷淡な拒絶ではなく未知の快感だった。
「ん、んん! んぅ、ふ、あ…ん、ん……!」
 唇を抉じ開けられて、ぬるりと舌がはいってくる。驚いて無防備にひらいた歯の裏側、口蓋、頬の内も余すところなく舐め取られて。
「ん、う…んく、んあ……んっ!」
 やがて囚えられた舌は、絡め合うというより殆ど、包み込むようにされて、そんなところにまで体格の違いを自覚させられる。頬から首へ、鎖骨へ、そして胸元へと滑り落ちコルセットを緩めた大きな手は、片方だけでも胸を揉むのに事足りて、なのに両の手で丁寧に、壊れ物を扱うみたいに触れてくるのだ。そんなふうに、心底大切みたいにされたら、また簡単にぐずぐずになってしまう。
「ぷあっ……あ、ん、それ、だめっ」
 ぴん、と敏感な粒を弾かれて背が仰け反り、唇が離れる。
 初めて触れられた時と同じ。胸を揉みしだく手が巧みに下着をずらしていって、いつのまにか服越しに乳首を愛撫されている。
「ふむ……だめ、か? 触る前から硬くして……触ってほしがっているようにしか見えないが……」
「ん、く……あうぅ、ふ、う……」
 耳元で、息を吹き込むように囁く声が、羞恥と快感を煽り立てる。この前のたった一度、初めてまっとうな性行為をした一度だけで、性器でもないそこをこんなにも過敏に作り変えられてしまった。まだ触れられていない下が、とろりと濡れていくのがわかる。
「本当に駄目なら――教えただろう? お前がその言葉を口にしたら、どんな状況でも、私はそれ以上何もしない、と」
 ぴたりと手を止めて、エメトセルクが問いかけてくる。親切と意地悪とが半々のような、表情と声色だった。冒険者の過去を慮ってくれているし、その上で、冒険者が乳首への刺激を絶対に拒めないこともわかっている。
「……だめ、じゃ、ない……もっと、もっとここ、いっぱいしてほしいの……っ」
 結局、自ら服をずり下げ胸元を露出させながら、冒険者は懇願をした。
「ひ、んッ……んぁ、あ、あん……!」
 今度は直接抓まれて、指の腹で押し潰すようにくりくりと捏ねられて脳髄が甘く痺れる。はしたなく身悶える冒険者を見下ろすエメトセルクの面持ちは、この関係を甘やかなものだと勘違いしてしまいそうなほど優しい。
 ララフェル族である自分にとって、それは同族以外の殆どすべてに当てはまるが――レイプされてからずっと、大きい種族の男性が怖かった。大切な仲間であるはずのサンクレッドやウリエンジェ、フォルタン家の人々でさえも、傍にいても萎縮しないようになるまでには時間がかかったし、ゼノスと刃を交えるたびに恐怖で逃げ出したくなった。
 ――なのになぜ、この人のことは初めから、怖いと思わなかったのだろう?
 根本的には敵対しているから、殺されることはあるだろうと思った。けれどそれ以上に恐ろしいこと――尊厳を踏み躙られ慰み者にされるようなことだけは絶対にないと、そう直観したのだ。
 理屈ではなく本能で、信頼して良いと知っているような、そんな不思議な感覚がして――。
「考え事とは、随分と余裕だな」
「ひゃうっ! や、な、なに、ひぁあっ!」
 ぬるりと何か温いものに撫でられて、よそごとに気を取られていた脳が、一気に快楽へと叩き落される。見遣ればいやらしい粒はてらてらと濡れていて、そこを男の、あかい舌が這っている。
「やっ、うぅ、あ…っ、それ、はずかし……っ」
 乳首を舐められている、と気づいて、冒険者は顔から火が噴き出そうになった。恥ずかしくて堪らないのに、溶けてしまいそうなほど気持ちがいい。
「ひ、だめ、きもちい、とけちゃ…あうっ、もっとぉっ」
 柔く唇で食んで、音を立て吸い上げて、舌先でころころと転がされて。溶けてしまいそうな悦びからようやく解放されたかと思えば、唾液に塗れてぷっくりと腫れたそこを指で捏ねながら、もう一方を舐られる。
「駄目なのか、もっと、なのか、わからないな……どちらが本音だ?」
「あん、だめ、え、だめなのっ……」
 わけもわからずに冒険者が口走った、矛盾した言葉の真意など、わかっているくせにエメトセルクは問うてくる。今度は愛撫を止めずに、硬く尖った粒に歯を押し当てながら。
「あ、あっ……だ、め、ちくび噛んじゃ、~~っ!」
 あの言葉を言わない以上、それは懇願と同じだった。
 軽く、本当に軽く歯を立てられた甘い痛みで、頭が真っ白になって、下腹部がきゅううとせつなくなる。
「はっ……はあっ、あ……や、みな、いで……」
「それはできない相談だな……」
 胸だけで、達してしまった。その余韻にひくつく秘所も、ぐっしょりと濡れた下着ごとショートパンツをずり下ろされて、彼の目の前にさらけ出された。
「……小さいな、本当に」
「ん、く……あ、ふ、ぁあっ……」
 ごつごつとした指が、形を確かめるように膣口を撫でるたびに、粘度の高い体液が糸を引く。中に入ってこようとはしないその指の太さはやはり、かつてそこに存在した膜を簡単に破いてしまいそうなほどだ。
「あ、なたが、よかったな……」
「? 何が……」
 指だけで破瓜するなら、このひとがよかった――そんな思いが、胸を締め付ける。
「処女、あげたかっ、た――きゃうっ」
 こぼれた弱音を咎めるようにきゅっと肉芽を抓まれて、また軽く達した。
「ご、めん……嫌だ……った……?」
 怒らせてしまっただろうか。何かを堪えるような苦しげな表情で、エメトセルクは冒険者を見下ろしている。
「……嫌ではないし、据え膳は有難く頂くが。そこまで煽った責任は取ってもらいたいところだな」
 そう言って、寛げられた軍装からソレが覗く。硬く隆起して上を向き、血管の浮き出た男性器が。アシエンにも当たり前に感情があるということは、当たり前に肉欲があってもおかしくないということを――冒険者は今の今まで、理解しきれていなかったのかもしれない。永遠に近い時を生きる彼らの性質を、精霊だとか幻獣だとか、そういったものたちのようだと、敵ながらどこか神聖視していたようだ。
「大、きい……は、はいるかな……」
 ぴとりと、陰唇に押し当てられて、恐怖が込み上げなかったと言えば嘘になる。充分に慣らしても裂けてしまったら、すごく痛くて、熱が出て、もう子どもは望めなくなった臓器が、次はどんな機能不全に至るのか――と。
 それでもこのひとの欲望を知りたいと、相反する思いに身動きが取れなくなった冒険者の頭を、エメトセルクはそっと撫でた。
「挿れないさ――今は、まだ」
「今は……って、また次が、あるの……?」
 次――次はいったい、何の治療で、どちがら何の対価を払うことで貸し借りが無しになるのだろう。まったく想像もつかないし、きっと次など望めぬような、激動の中を駆け抜けることになるだろうけれど。
「嫌か?」
「ううん、好き……エメトセルクとこうするの……」
 心地よくて、ずっと触れていてほしくて、ほかに何も考えられなくなっていく。あの日この手に掛けた男たちの言ったことを、馬鹿馬鹿しいと思い続けてきたのに。
 ――このひとの手で、鎧を剥がされて、ただの女になりたいと思ってる……。
「ハ……そういうところが、魔性だと……っ」
「……?」
 うつ伏せにされて、閉じた脚のあわいに再度、その熱量が触れる。
「っう、あ……あ、」
 それは約束どおり中を穿つことはなく、代わりに、ぐずぐずに濡れた膣口をぐちゅりと擦り上げた。
「あぁうっ! ひ、あ、あぁっ、あ……!」
 指でされるのとも、口でされるのとも全く違う刺激に、冒険者は身も世もなく喘ぐ。襞を掻き分けてはぬるぬると蜜を掬って塗りたくるペニスの、それ自体からもとろりと粘液が滴り、際限なく股が濡れていく。
「拭っても、拭っても溢れてくるな……」
「んあっ、あ、ら、めっ、クリつぶさな、れッ」
 時折気まぐれに、いちばん硬い亀頭の部分が花芯を押し潰して、まぶたの裏で火花が散る。ぱちぱちと爆ぜる間隔が次第に短くなって、常に視界が白んでいるような多幸感がとめどなく押し寄せた。
「あっ、ひぐッ、うぅう、らめ、えっ……! も、いってぅ、イって……っイ、くの、とま、なく、なっちゃぁあ、あ~~……っ!」
「いい、ぞ……そのまま、 何度でもイってみせろ……ッ」
 がくん、と体中の力が抜ける。ベッドに崩れ落ちた冒険者の、閉じていられなくなった脚の間を、変わらず肉棒が擦りつづけている。
「きもち、い、きもちいい、よぉっ、ぁ、やあっ、も……らめっ、エ…メ、たすけ、て、ああんっ!」
 ふわふわと現実味をなくした快楽の中で、時折思い出したように乳首を弄られると、ひときわ甲高く甘ったるい嬌声が口からこぼれた。
「っ……ぐ、」
「ぁ、ん――……は、んぁあ……」
 低く呻く声が耳朶を擽り、瞬間、粘ついたものがどろりと大腿を滴り落ちる。ようやくとめどない波から降りてこられたと思った冒険者は、しかし息つく間もなく、その温い情欲を浴びてまた軽く達してしまった。
「はぁっ……は、ん……んうっ」
 抱き寄せ、顎を持ち上げられて、啄むような口づけが降ってくる。しとどに濡れた膣に触れたままのエメトセルクの剛直が、吐精したばかりとは思えぬほど再び硬くなって、冒険者はそのことが、泣いてしまいそうなくらい嬉しかった。
「まだ、いけるだろう……?」
「うん……もっと、ちょうだい……っ」
 体内に抱えた無尽光の苦痛など、とっくに中和されきっている。それがいつからだったのかも冒険者はわからなくて、きっとエメトセルクは知っていて――それでも気づかない振りをして、互いの熱に溺れていく。
 ただ、高め合うためだけに。まるで想い合う者同士のように優しく、深く、強く。
 このひとの傍にいると安心する。
 そう、慕わしいとさえ思っている。
 あたたかくて、力強くて――なのに。

 いっそ残酷なまでに優しく、この身を掻き乱した男の胸からは、心臓の音がきこえなかった。

 

 


 星降る終末の夜は、夢と消えた。
 決戦の地には淡い光に包まれた朝焼けがあって、先ほどまでの激しい戦いが嘘のように、すべてが凪いでいる。
 真っ直ぐに見据える先に、この手で願いを打ち砕いた相手がいる。かけるべき言葉が見つからなかった。勝者が敗者を見下さず、憐れまず、敗者が勝者を仇としない――決裂の少し前、彼が語った理想を、せめてそれだけでも体現できたのか。冒険者には自信を持って頷くことなどできなかった。
 高密度エーテルの刃が穿った腹の風穴を、手甲に覆われた手が撫でる。敗北を、迫りくる死を確かめるように。そうして一歩、また一歩とこちらへ歩んできたエメトセルクは、互いに手の届かぬ位置で足を止めた。
「ならば、覚えていろ」
 目深に被ったフードを外して、晴れやかな笑みと共に。
「私たちは……確かに、生きていたんだ」
 そこに誰かがいたことなど嘘のように、光の粒子へと溶けて、朝焼けの中に消えていった。
 ひどく穏やかな、終わりだった。
 幕引きを喜ぶことも嘆くこともできず、冒険者はその場に立ち尽くす。
 たった今、己の手で殺した男への想いが胸を掻き乱して、この先どうすればいいかもわからない。
 取り戻した夜を、祝福しなければいけないのに。
 霊災を遠ざけたことを歓喜せねば、それこそ、未来を奪った相手への侮辱だと言うのに。
「……ああ。わたし、とっくに貰ってた、のに」
 最後の戦いよりもずっと前に、真名を明かされた――その意味を理解できないほど稚くはない。
 けれど、それで得られるものなど、もう何も。
 助けを得てなお裁定を越えられなかった時点で、応えられなかったも同然だ。
 それでも最後まで、公正であろうとしてくれたひとを。
 自分自身ではなくこの魂のことだとしても、まちがいなく大切に思い続けて、ずっと『敗けるな』と言ってくれていたひとを。

「なのに……全部わたしが……壊し、ちゃった……」

 喪失の痛みが心を引き裂く。
 涙に流せば悔恨も絶望も、僅かばかり隣で得られた安らぎも忘れてしまいそうで――痛いだけの思い出も、ひとつとして取りこぼしたくはなくて。
 なのに落涙を、止めることができなかった。


chapter:3/黄昏に花開く


 死闘の果てに権能と悲願とを手放して、エメトセルクは永きに渡る生を終えた。
 とはいえ――それですべての荷をおろす訳にもいかず、暫くは降りた舞台を見守っていた。自身の死後、エリディブスと光の使徒が衝突することはわかっていたからだ。十四人委員会のクリスタルはそのために託した訳ではなかったが――独り残してしまった同胞と、未来を継いでいく新しき命との決着を、見届けるまでが己の責務だろう。
 第十四の座が司る術式は、その持ち主によって正しく発動した。月へ追いやられた英雄は決戦の地に舞い戻り、そうして、心を取り戻した少年はクリスタルの塔に封印された。
 これでようやく眠れる、と息を吐く。深く昏い星の海へと降り立ち、後は冥界の沙汰を待つばかりだ。永遠のような一瞬を幾度となく繰り返して、微睡みはじめたそのとき。
 ――ごめんね、ハーデス……。
 一度として呼ばなかったエメトセルクの真名をひどく弱々しく零す、彼女の声が聞こえた。まるで、死にゆく間際の祈りのように。
 同時に、本来のアゼムの召喚術とは比べ物にならないほどの弱さで道が繋がる。それは物質界とエーテル界との隔たりを打ち砕くには足りない、とても細い道だ。しかし手繰るに充分な、強い思いで編まれていた。
 手繰らないという選択肢は、なかった。
「まったく……二度も人を死の淵から叩き起こすとは……人使いが荒いにも程があるぞ、英雄様」
 世界の理に背き、生者と死者を分かつ境界を飛び越える。
 召喚者の座標に辿り着いたエメトセルクが目にしたのは、あまりに凄惨な光景だった。生前の調子で皮肉を述べたものの、内心は言い知れぬ不快感にぐらつき、乱れる。分かたれたヒトの、小さき種族の中でもとりわけ小柄な女が、全身に熱傷と裂傷を負い倒れている。
「……ぁ、え……め……うそ、ど……して」
「っ……!」
 その傷を、何が付けたのかが問題だ。全身に棘と鱗、頭部には歪な角を生やした大口の獣――アルケオタニア。かつて旧き時代にもたらされた終末の元凶と呼ぶべき、忌々しい異形。蹂躙しただけでは飽き足らぬ、と言わんばかりに、その獣は女を、極上の餌と見定め吠え立てる。
「お、まえが……よりにもよって……お前が、」
 ぶわりと噴き上がる激情。死してゾディアークの枷からも解き放たれた今、これほどの憎悪と憤怒を抱くことがあろうとは。――それもある意味、当然か。星の意志ではなく、個として、理性など捨て去ってすべての発端を何かに押し付けることができるのならば。
「そいつに、触れるな……ッ!」
 あの巨大獣をおいて他に、何があるといのだ。
 感情のまま叫び手を翳せば、暗紫色の魔力が無数の槍の形となって異形の海獣へと飛んでいく。悲鳴じみた耳障りな咆哮に舌打ちをして、二発、三発と同じ魔法を叩き込む。足りない。これでもまだ、足りない。見届けると決めた命がこいつに負わされた苦痛の、倍を与えても足りるものか。
 闇をもって焼き殺せと、失ったはずの『何か』が頭に、どす黒く澱んだ渦を巻いて――……。
「……だ、め」
 弱くとも毅然とした声が、響く。
「止めるなッ! 私は、『私たち』はアレを――」
「もう、死んでるよ……」
 熱に浮かされたように、唆されるまま高質量の星極性エーテルを放とうとしたエメトセルクを、その声だけが繋ぎ留める。そちらへ行ってはならないと、ただ、ひたむきに。
「あなたは、たとえ敵が何であっても……敗者の尊厳を貶めたりなんてしない。そうでしょう……?」
 はっと息を呑んだ。真っ赤に染まった視界が、急速に元の彩度を取り戻す。
 天楼の中央、事切れた獣が淡い光となって消えていく。
 そうして、ローブの裾をゆるく引かれて下を見る。
「よかった……わたしの声、とどい、て……」
「なっ、お前……!」
 ぐらりと傾いでいく女の体を、エメトセルクは浮遊魔法で一度支え、抱きかかえた。夥しい出血のせいか、記憶にあるよりもずっと軽い。
 一刻も早く治療をしなければ危険な状態だ。
「だめ……そんなことに魔力、使ったら……あなた、消え、ちゃう……」
 最も傷の深い腹部から治癒の術を施していけば、女はそう言って弱々しく首を振る。これが有り得ない邂逅だということは、瀕死の重傷を負い朦朧としながらも、理解しているらしい。
「ほう……それで、何だ? お前はこのまま犬死するとでも言うつもりか?」
 彼女の言葉を、エメトセルクは看過できなかった。託した未来をまだ見届けていない。いかなる苦境にあっても、その身に余る霊極性エーテルを抱え込み化け物に成り果てようとした時でさえ生を諦めなかったかつての宿敵が、亡霊同然のエメトセルクを延命するために死にゆこうとするなど許せない。何よりも――すべてを喪った今、ただ生きて、生き抜いてほしいと切に願っている。
「っ……それ、は」
「生者は生者らしく、大人しく生かされておくんだな。それに……」
 ――それに、使った分は『補って』もらえばいい。
 そう言おうとして、エメトセルクは口を噤んだ。とっくに死んで舞台を降りた人間が、今更生者のエーテルを喰らって存在しつづけようなどと、おこがましいにも程がある。
 これ以上、生者と死者が交わりつづけるべきではない。
 幸か不幸か、古の遺構と自身の遺した幻影の街があるこの海底では『見て触れることのできる幽霊』程度の存在として活動しつづけられるようだが、早々に魔力の繋がりを断ち、立ち去るべきだろう。
 この女に触れて、蕩かして今度こそ、己のものとしてしまいたい――そんな欲望が少しもないと言えば嘘になるが。
「それ、に……?」
「……約束しただろう、『覚えている』と」
 呑み込んだ言葉とは別の、紛れもない本心を告げる。
 すると英雄はゆるりとまぶたをふるわせ、こぼれ落ちてしまいそうな淡い瞳に水の膜を滲ませた。
「なんだか、夢みたい……エメトセルクがそんなふうに、わたしに生きろと言ってくれるなんて」
 溶けるような安堵を湛えた笑みは、到底、敵として討った男に向けるようなものではない。
「……ごめんね。わたし、裁定を越えられずにあなたを失望させて、手を取り合えなくて……なのに二度も助けてもらってる。一度目はエリディブスのための保険だったでしょう?今こうして、また会えたのは……わたしの未練で、わがままだよね……」
 この再会を経て、否、冥界まで届いた彼女の声を聞いたときから、寄せられる想いをわかっていた。頼むから言ってくれるなと、エメトセルクは胸中で呟く。言葉にさえしなければまだ、知らない振りをして手放すことができるのだ。
「もっと話をしたかったし、助けてくれたお礼も言えないままで……それに、」
 一度言葉を切り、俯いて。
 再び顔を上げ真っ直ぐに己を見つめる女の、頬は紅潮し、唇は濡れて艶めいている。そうして。

「それに……わ、わたし、まだ、あなたに抱いてもらって、ない……」

 告げられた想いの熱量に、眩暈がした。
 慕っているとか、傍にいたいだとか、そんな生易しい情動ではなく――魂そのもので食みあうような触れ合いの更にその先を、今なお求めているのか。
 諦めようと、捨てようとしていた欲望を、そうも無防備に揺り起こされては、火が点かないはずもない。
「は――ん、んんぅ、ふ、んっ……!」
 衝動のままに、荒々しく口づける。小さく幼気なそこを抉じ開けて、舌を絡め取る。蕩けていく女の姿を、万に一つも誰かに見られたくはないと、熱に浮かされた頭でも辛うじて理性は働いた。ここはオンド族の拠点が近い。エメトセルクは口づけを止めぬまま、腕に抱いた女ごと、アーモロートへと転移した。
「んう、んっ、ぁ……は、んん……」
 さすがに転移魔法の精度は落ちているようで、降り立った場所はいずこかの屋内ではなく、カピトル議事堂の中層階裏手にあるバルコニーだった。
「ん……は、あうっ、あ……や、だれかに、みられちゃ、」
 あちら側の海底もここも、変わらず屋外であることに気づいた女は、羞恥に頬を染めて、ふるふると首を振る。
「ああ……ここから見える向こう側の景色は、在りし日を投影しただけの幻だ」
「ほ、んとう、に……? ふあっ、あ、胸だめっ」
 その問いに答えてやりながら、服の上から胸を揉み、もう一方の手でスカートの下をまさぐる。ワンピースタイプの軍装は後ろ側こそコートのような丈をしているが、前がいささか短すぎる。こんなにも蕩けやすい極上の肢体を包むには不適当だという思いと、それを今、自分だけが堪能しているのだという充足感が綯い交ぜになって胸を掻き乱した。
「誰も見ている者はいないさ……よほど勘のいい泡が、紛れ込んでいない限りはな」
「そ、そんな、それって……っ」
いったい誰を想像したのか、ますます顔を赤らめるのが面白くない。しかしその悋気を理由に手酷く抱くような真似だけは、絶対にしたくなかった。
「本当に駄目だと思ったなら、私の名を呼べ……教えただろう?」
 手を止め、エメトセルクは今一度、彼女の意思を問う。先へ進むことを拒絶されはしないと、予感はあった。その上で問うのは卑怯だろうかというエメトセルクの葛藤も――。
「それ、もういらない。だめな時じゃなくて、呼びたいの。あなたの、本当の名前……」
 何があっても拒まないと、女は深い情でもって、すべて受け容れてしまった。
「……いいのか、本当に」
「いいよ。全部あなたの、好きにして。……あ、でも。わたしに呼ばれるのが不快なら、座の名前で呼ぶから……」
 不快なはずがない。呼ばれることを厭うならば、すべてを賭して戦うよりずっと前に、真名を教えるわけがない。
「っ……あまり、煽ってくれるな。名は好きに呼べ。だがお前が『怖い』と言った時には、何があっても止める……それでいいな?」
 望みを叶えてやりたいのはやまやまだが、彼女の過去を考慮すると、枷をすべて取り払ってしまうことには抵抗があった。こんなにも触れたくて堪らないのに、庇護欲が肉欲を制御している。
 ああ――これを、愛と呼ぶのか。
 生前認めるわけにはいかなかった、忌々しいとさえ感じた想いが、閊えることなく胸に落ちてくる。
「うん……うん。優しいんだね、ハーデス」
 鈴の鳴るような声が、エメトセルクの真名を紡ぐ。
 それは在りし日の旧き言語ではなく、分かたれたヒトの言葉であるのに、泣いてしまいそうなほと心地よかった。
 なのに。
「何だ、今ごろ気づいたのか」
「ん、ううん、ずっと知ってた。だって、もう助ける義理なんてないのに助けに来てくれて……もうわたしに、情なんてないのに抱いてくれるんだもの……」
「は……?」
 穏やかな空気から一転、冷や水を浴びせられた。
 そうして気づく。女はエメトセルクの想いを理解した上で交合を求めたのではなく、彼女の一方的な思慕だと勘違いしているのだと。何て愚かな――と噴き上がりかけた怒りは、彼女に言葉の刃を向ける前に一転、自分自身に突き立った。
「……そうだな。確かに一度は、切り捨てたさ。裁定を越えられなかったお前と、お前達とは手を取り合えない。そこに個人の感情など邪魔なだけだった」
「っ……」
 結論に至っていない言葉を聞いて、女はびくりと肩を震わせる。迂闊だった。どこか自己評価の低いところがあるこの女が、あの訣別を経て今、情など消え失せたと思うのも無理はない。
「だが……そうして戦った末に、私は敗れた。一度ついた決着を覆すつもりはないし……望郷の念は消えずとも、永遠の生に未練はない。つまり――」
貴石のような彼女の瞳を覆う滴が一粒、こぼれ落ちる。
「――愛している、《――》」
 それは告白というより、懺悔だった。
 かつての友の名でも、その座の名前でもなく、目の前の弱く小さな命を呼ぶ。
 そうしてエメトセルクは、本当に死んだ。
 ここに在るのはその童心が、刹那に見た夢の残滓だけだ。
「ぁ……はー、です……わたし、も」
「言うな。言えばお前を、帰してやれなくなる……」
 バルコニーの縁、段差になった部分に腰を下ろし、女を背後から、膝の間に抱き込む。こちらが座し、彼女を立たせて、その上で見上げられてやっと目線が合うのだということ――あまりに体格の違う種族を抱こうとしていることを、改めて自覚させられた。
「やっ……ん、んぁ、脱がせ、方、えっちだよ……」
 ――そもそもこの軍装自体が、扇情的に過ぎるのだ。胸下のベルトから上、前当てだけを外せるようになっている。黒い厚手の布に覆われていたその下にインナーがあるにはあるが、シースルー生地のソレからは、肌と下着が透けて見える。そのうえ、少し意識をして再びささやかながらもしっかりと丸みを帯びた膨らみを揉んでやれば、容易に下着がずれていって、つんと尖った愛らしいばしょが見えてしまう。
「そうは言っても、好きだろう? こうして――」
 万が一にも掠めて傷つけぬように、手甲に鉤爪の付いていない小指で、カリリとその突端を引っ掻く。
「あっ……あ、」
「薄布一枚隔てて、ここを弄られるのが」
「あんっ……!」
 触れる前から固くなっていたそこは、爪の先で引っ掛けるたびに弾力を増していく。逃げるように転がるのを追いかけてはぴんと弾いて、指の腹でやわやわと撫でて、緩急を付け愛でればすぐに熟れる。
「キスと、少し揉んだだけで、触る前から固くして……」
「ふ、ぅう、あっ、やあっ」
「本当に愛らしいな……お前の乳首は」
「あう、あん、だ、めえ、それよわっ」
 今にも達してしまいそうな、すすり泣くような甘ったるい声で女は泣く。背が仰け反り腰は揺れて、もっと弄ってほしいと胸を突き出すような格好になっていることを、当人は気づいていないのだろう。
「いう、う、すぐいっ、いっちゃ、あぁ……!」
 性急に、小刻みにカリカリと引っ掻いてやれば、限界を訴えながらその言葉の通りに女は昇り詰める。正常なバランスに保たれた、清廉な彼女のエーテルが呼応するように大気中へと僅かに放出されて、酩酊を誘うような甘やかさだ。
「は……ぁ、あ……っ」
 余韻に震える英雄のまろい頬に口づけ、柔くなだらかな腹部を撫でながら、ここからどうすべきかをエメトセルクは思案する。あまり前戯を長くしすぎても己が保たないが、この暴力的な体格差でもって彼女を抱くのなら、できうる限り蕩かしてやりたい。
「ふむ……なるほど」
 最低でもあと二、三度は胸だけでイかせるべきか、などと、口に出せばさすがに怒られそうなことを思案する。そのためには複雑な構造の軍装、特にインナーの部分が邪魔で、丁寧にすべて脱がせるだけの時間が惜しかった。
「後で直すから見逃してくれ」
「え……な、に……? きゃあっ」
 怪我をさせないよう、皮膚に掠らない位置まで引っ張ってから、透けた生地の中央に鉤爪を走らせる。縦に大きく破れたそれを左右に割り広げれば、小さくとも形の良い乳房が、ぷるんと揺れて外気に晒された。
「びっくり、したあ……破くってとこまで、先に言ってほしかったんだけど……?」
「……ああ。どうやら相当、気が急いていたようだ」
 ふたつの膨らみの頂点には、さらなる刺激を求めているかのように色づいた乳首がある。
 乳輪の淵からぷくりと膨らんだいやらしいかたちと、相反するような淡い薄桃色。ああ――もしあれから自慰もしていないのなら、愛撫されるのは今回が三度目か。
 たった三度、エメトセルクだけがそこを、こんなにも過敏に育て上げたのだ。
「ん……っ」
 手甲を外した手でその柔肉を包めば、女はびくりと肩を震わせた。膨らみの根元から輪に触れるギリギリまで、焦らすように指を往復させて、エメトセルクはその先を問う。
「さて……どうされたい?」
「あ……う、その……やっ、それやだあっ」
 ぐに、と乳房に突起を押し込む。
 問いかけながらも、その実、焦れていたのはエメトセルクの方だ。答えを待つだけの余裕がなかった。
「もっと、や、やさし、く、あうっ」
「強くされるのも、嫌いじゃないだろう」
「やらっ、やなの、激しくされたら……乳首イっちゃ、う」
 最後は消え入るような声で、女は言う。
 そのように弱味を曝け出されて、手ぬるい愛撫で済ませられるはずがない。
「ひんっ、あ、つよ、いぃ、やああっ」
 更に強く、ぐにぐにと乳嘴を押し潰す。痛いだけにはならぬようにと、指を離せばあかく色づいて勃ち上がるそこへ唾液を垂らしてやわやわと撫で、緩急を付けてやりながら。
「それで、どうされたらイくんだ? こうやって押し込むのがいいのか、それとも……」
「っあ! ア、そ、れらめ、つまんで、くりくりって、ひうう、すき、すきっ……」
 甘ったるく泣き濡れた声の言う通り、抓んで引っ張って、指の腹で擦り潰すのが最も好みのようだ。がくがくと脚を震えさせて、立っているのもやっとの様子でエメトセルクの腕に縋りながら、彼女は確実に昇りつめていった。
「あ、あっ、ぁあう、ん、ああんっ! ぁーっ、らえ、いっちゃ、いぅ、いくっ、は、ぁうう~~っ……!」
 高らかに鳴いて崩折れる体を咄嗟に抱きとめる。短すぎるスカートの下でぷし、と水音が弾け、石畳にぱたぱたと散って染みを作る。
 潮まで吹いて達したのだ、と数瞬遅れて理解が追いつき、エメトセルクはごくりと唾を呑み込んだ。愛しい女が乳首への刺激だけで、繰り返す都度淫らに果てるたびに、自身もまた僅かな切欠で暴発しそうなほど高まっている。
 早く繋がりたい。どこもかしこも柔らかな肢体を揺さぶり突き立てたいと、生前から燻りつづけた欲が焦げ付いておかしくなりそうだった。
「は……んう、は……です……っ」
 しかしそうするにはまだ、肝心の場所を慣らしていない。
「そろそろ、こちらも触るぞ……」
「んっ……ふ、うう、う」
 もはや立っていられなくなった彼女を、引き続き胸をまさぐる左手と、ショーツの中に捩じ込んだ右手とで支える。潮と愛液とでぐしょぐしょになった割れ目を掻き分ける指が、ほんの一瞬クリトリスを掠めただけで背がしなって、ようやく辿り着いた蜜壺の内は、思い描いていたよりもずっと狭く小さかった。
「う、んんっ……あ、く、うぅっ……」
くたりと、エメトセルクの胸にもたれかかる女のかんばせに苦悶の色が滲む。これほどに濡れそぼっていようとも、指の一本だけで苦痛を与えてしまっている。当然だ。いくら彼女が成人していると言えど、ララフェル以外の成年男性と比べれば、大人と子どもほどに体格が違う。
 こんなにも脆く、小さく、頑是ない体を丁重に扱ってさえ痛がっているのに――欲望に任せて破瓜させ、そのうえ性器までも無慈悲に突き立てた愚か者どもへの怒りが、改めて湧き上がる。冥府で魂を探し出し、引き裂いて、二度と転生など叶わぬよう業火で灼き尽くしてしまいたいとさえ思う。
「ハーデ、ス……? 怖い顔、してる……」
 こちらを振り仰ぐ女が、こてんと首を傾げる。
「あ、ああ……すまない。その、やはり――」
「あなたが何に怒ってるか、わかるよ。でも……痛くてもやめないで」
 やはり、止めるべきではないか。互いを感じる方法はそれだけではないと紡ごうとした言葉を、彼女は遮った。
「わたしが、あなたに抱いてほしいの。ここで、あいしてほしい……」
 ここで、と自らの腹を撫でる指先のいとけなさに眩暈がする。羞恥に消え入るその声ごと閉じ込めるように、おとがいを掬い上げ、唇を食む。
「んぅ、ふ……んっ、んあ……っ」
 絡め取った舌を擽ってやれば、痛みに強張っていた女の体から力が抜けた。呼応するように膣が緩んで、エメトセルクの指を少し奥へと誘い込み、乳首を弄ればきゅうきゅうと懐いて締め付けるのを繰り返す。
「はあっ、は、ぅん、んッ、あっ……あの、あのねっ」
 口づけを解くと、混ざりあった唾液に濡れた可憐な唇をはくはくとさせて、彼女が何かを言い募ろうとする。
「うん? どうした……?」
「痛いの、よくなったか、ら、ゆび……もっといれてよくて、あうっ、それ、からあっ」
 愛しい女が、恥じらいに震えながら欲望を口にする姿には大変唆るものがあるが、負担の大きい身にこれ以上何かを強いるのは酷だろう。
「なら指を増やすが、違和感があればすぐに言えよ……それから」
「ひぅうっ、あん!」
「ここを、もっとしてほしかったんだろう?」
「…って、らって、そぇされると、あっ、濡れ、ちゃうッ」
 ぐにぐにと、まろい膨らみに押し込むようにして乳首を捏ねれば、彼女が口走ったとおり、二本に増やした指で更にきつくなった蜜壺が瞬く間に潤いだす。広げた指の間をとろりとエメトセルクの掌まで伝い落ち、掻き回す都度いやらしく響く水音が、次第に激しくなって。
「あ、ふ、あぁ、あっ、あーっ、ぁ~~っ……!」
 びしゃりと、飛沫がそこかしこに散る。可憐な少女の形をした女が、その極上の肢体でもって、また乳首でイって潮を吹いたのだと、一拍遅れて理解した。
「ハ……本っ当に、どこまで愛らしくなれば気が済むんだ」
「ぁ、やあぁ……わた、し、また……っ」
 隙間ひとつなくなるほど締まる肉襞から、エメトセルクは一度指を引き抜く。そうしてぱちん、と指を鳴らし、濡れて纏わりつく袖が邪魔な自身のローブを脱ごうとして――彼女の衣服も諸共に取り去った。
 どのみち最後にはすべて脱がせることになるのだ。その手間を煩わしく感じる前に済ませてしまえば、話が早い。
「ひゃっ……や、やだあ、だめっ」
 一糸まとわぬ姿に剥かれた女は悲鳴をあげてしゃがみ込み、エメトセルクのローブを肩から羽織った。情を交わした男の服を身に着けている、と言うにはあまりに体格が異なるために、その姿を見て沸き起こる感情は、興奮よりも微笑ましさが優る。
「ふむ……これでどうだ」
 エメトセルクはもう一度魔術を行使して、薄紫色のショールを生成し、ローブの代わりに彼女の肩から掛けた――全くもって、こんなものは服の代わりにならないが。半透明の薄い布地から火照った体が透けて見えるのは、ある意味裸よりもいやらしい。
「どうだって……こ、これ、透けてるじゃない……!」
「裸を見られるより恥ずかしいことを、もう散々しているだろうに……」
「だって、ぜんぶ脱がされたの初めてだもの……ねえ、幻滅してない? ぷにぷにしすぎだとか、その、ぜんぜん、胸おおきくないとか……」
 何を言い出すかと思えば、彼女は裸にされたことの恥ずかしさよりも、それを見てエメトセルクがどう感じるか、が気がかりらしい。いじらしいにも程がある。
「大きさは関係ない……というか、議論しても仕方がないだろう。ララフェルの中でも特に小柄な割には、まあ……ある方なんじゃないか?」
「……そ、そうかなあ」
 石畳に座り込んだまま、上目遣いで不安げな女を、エメトセルクは向かい合う体勢で膝の上へと抱え上げる。別段、その姿かたちの稚さそのものに欲情する類の性癖をエメトセルクは持ち合わせていないが、慕わしく思えばこそ、どのような容姿であれ、乱れる様には昂ぶるものだ。
「個人的には、こう――」
「ひゃんっ! ふあ、あっ!」
 ショールの下の柔肌に手を差し入れ、ぴんと勃ち上がった乳嘴を弾くと、再びその声が甘く蕩けだした。
「片手に収まる、というのは好ましいな。いつでも可愛がってやれるだろう」
「あッ、あぁう、も、乳首だめえっ」
 しとどに濡れた女陰も、難なく指を呑み込んでいく。敏感な粒を転がすたび、奥へ奥へと誘い込むように従順に襞が蠢いて、そうしてついに――届いた。
「! ……っえ、ぁ、なに――」
「ああ……降りてきているな」
「や、だ、やあっ……はー、です、なんなの、そこっ……」
 奥の奥で、きつく閉ざされた蕾が指先に触れる。抉じ開けられることを恐れながらも、開けてほしがっているかのように、ひくりとふるえる繊細な粘膜が。
「お前の子宮口が、私の指に吸い付いているんだ」
「っ……あ、や、だ、ゆびだけで……そんな、おく」
 女は白皙の頬を朱く染めると、大きさの違いを確かめるようにその小さな両手で、胸を愛撫するエメトセルクの手に触れた。感嘆の息を漏らす唇が、はくはくと開いては閉じる。
「ここも、このまま指で、慣らしておくか?」
「んあぁっ、だ、め……まって、だめなのっ」
 愛液を塗り込めるようにしてそっと撫でてやれば、彼女は左右に首を振った。その、何かを待ち望むような恍惚とした表情の意味を。
「おく……しきゅ、う、あけ、るなら……あなたの、ペニスじゃなきゃ、いや……」
 ――思い知らされただけで、危うく暴発しかけた。
 本当に、この小さな命に惹かれてからというもの、ずっと翻弄され通しだ。
「は――……ッ本当に、もういいんだな……?」
「う、ん……きて、はーです……っ」
 慣らしたといえど変わらず狭いそこに、猛る陰茎を押し当てる。できるかぎり痛みを与えぬよう、この交わりが彼女にとっての暴力とならないよう慎重に――ずぶりと、その温い粘膜の内へ、楔を埋め込んだ。
「あぁあっ、く……ふ、うう……!」
 ほんの少し押し進めただけで、直ぐに物理的な限界に行き当たった。頑なな子宮頚部の入り口が、亀頭に吸い付き侵入を阻んでいる。
「これ、で、ぜんぶ……?」
 最奥までを貫かれた女が、苦しげな声で問うてくる。目視した限り出血はないようだが、そのやわらかなかんばせに滲む汗の量は、先ほどまでの比ではない。
「いいや……三分の一、だな」
 どこまで入ったのかという問いに、包み隠さずエメトセルクは答えた。いよいよ女の面差しが蒼白になる。
「う、うそ……」
「安心しろ。こんな狭い場所に、全部収めてお前を壊すような真似はしない……絶対にだ」
 怯える彼女の頬を、形の良い耳を、そして髪を撫でて言い含めた。余すところなく性器を挿入すれば、確かに挿れた側だけは至上の快楽を得られるだろうが、そんな一方的な仕打ちを性交と呼びたくはない。そんなものは、知性を失った獣による蹂躙だ。
「ん……それ、すき……もっと頭、撫でて……」
 乞われたとおり繰り返し頭を撫でるうちに、彼女は安心しきった表情を浮かべて、接合が深くなるのもいとわずエメトセルクの胸元に頬を擦り寄せてくる。
 青褪めていた顔に血色が戻るのを見つめながら――親から子へ注がれるような愛情を受け取った記憶すら、この娘にはないのかと合点が行った。以前の生育環境がどうであれ、対人記憶をすべて失い、今の自我を得た時点で成人していた彼女に、ただ穏やかな日々の中で庇護された思い出など存在しないのだ。
「んー、ふふ……」
「っ……こら、何をして……」
 楽しげな笑い声が、感傷を有耶無耶に霧散させた。甘やかな刺激が下腹部へと降りてくる。女のまろく、小さな手が、やわやわとエメトセルクの胸筋を揉んでいる。
「う、あ……や、めないか、もう」
 揉む、と言ってもその手の大きさでは、どうしても一箇所を集中的に捏ねるような形になる。薄手のタートルネックを押し上げて、突端が静かに主張しはじめた。
「自分が弱いから、わたしのここ、いっぱいさわってダメにしたの……?」
 元々の、己の性感帯などてんで覚えていないが、彼女に触られつづければ否が応にも『そう』なってしまうだろう。
「さて、な……慣れてきたなら、動かすぞ……っ」
 だから名残惜しく思いながらも、その奉仕を制止した。
 可憐な少女の形をした女が、小悪魔めいた表情を浮かべて乳首を愛撫してくる――と、いう絵面にはかなりクるものがあったが、このうえ横道に逸れるだけの余裕が、エメトセルクにはもうなかった。
「う、んっ、あ、うぅ、あッ……」
 ゆるゆると抽挿を開始する。狭く小さな膣のすべてを、余すところなく味わい尽くすように。
「あぁ、あっ、ら、めぇ、こちゅこちゅってえっ」
 無理なく挿入できる限界まで突けば、自然と子宮口を刺激する形になる。コツンと怒張が蕾を叩くたび、呂律の回らない声で溶けてしまいそうに鳴いて、女はいっそう強くエメトセルクに縋り付いてきた。
「は、んんっ、あい…ちゃう、あけらえひゃうぅっ」
「ああ……ああッ、開けるぞ、お前の奥を……!」
 頑なな花弁を、何度も柔く捏ね回す。その温くやわらかな揺りかごの裡へ欲望を叩き付けたい――許しを得るために何度も、何度も。
「ひぐっ……う、」
 やがて花開いたそこへ、僅かに亀頭がめり込んで。
「ぅ、ぁ、あーっ、あぁ~~……っ!」
「あ、ぐ……ッ!」
 びくびくと全身をわななかせ果てた女の、うねる膣奥に搾り取られるようにして、エメトセルクも昇り詰めた。
「ぁん――あ……あっ……」
 断続的に射精するそのたび、彼女は余韻に甘く啜り泣いて、そのいとけない子宮の奥で呑み込みきれなかった精液がとろりと、大腿を伝い落ちてくる。
「わた、しの、ぜんぶ……はーですのかたちに、なっちゃった…………きゃうっ」
 精を放つと同時に注いだエーテルの影響か、恍惚と告げる彼女の左目はエメトセルクのそれを写し取ったかのように金糸雀色へと変化し、火照った肌のそこかしこに、紫黒色の蔦が絡み付いていた。――そんな様を見せつけながら愛らしいことを言われては、再び火が点かないはずがない。
「な、んれ、またおおき、くぅ、あ、あんっ!」
「……煽っている自覚がないとは、たちが悪い」
 直ぐに硬さを取り戻した陰茎で蜜壺を掻き回せば、もう入らないと悲鳴があがる。それもそうだ。ならば今ひとたび、指で乱れてもらうとしよう。そうしてまっさらになった柔い粘膜の中へ、またありったけを注ぐのだ。
「安心しろ。注ぐたび掻き出して、何度でも注ぎ直して満たしてやる……」
「っだめ、そんなの……おかしくなっちゃ、う……」
 蜜月はまだ、始まったばかりだ。



chapter:4/葬送、或いは婚礼に寄せて


 最低限の家具だけを誂えた簡素な部屋に、ふたり分の荒い息遣いと、抽挿による水音が響く。
「は、ふ……ぅう、あっあ、あんっ……」
 上に跨って剛直を咥え込み、拙いながらも懸命に腰を動かす女の両目は、ハーデスのそれを写し取ったかのように金糸雀色に染まっている。
 あれから――瀕死の重傷を負った彼女がハーデスを喚び、この泡沫のアーモロートで初めて体を繋げてから、どれほどの時が流れただろうか。この街で根城としていた部屋に閉じ籠もり、睡眠に当てる以外の殆どの時間をまぐわい続けたことで、女の、ララフェル族のいとけない体は、すっかりハーデスを受け容れることに慣れ切っていた。
「ぁ、は…です、わた、し、らめ、いってぅ、いってる、の、あ、あ~~っ……!」
「く……ッあ、締め、すぎだ……!」
 狭い蜜壺を、いっそうきつく締め付けて女が果てる。すべては埋め込むことのできない陰茎の、最も敏感な部分を搾り取るようにされて、ハーデスもまた彼女の柔肉へと精を吐き出した。
「ふ、んう、んっ……はぁっ、ん……」
「っ……ん、こら。そうがっつかれると、また抱き潰す羽目になるぞ」
 余韻の中で口づけを交わす。おそらくは無意識の内にハーデスを悦ばせようとして深く貪りあおうとする女を窘め、魔法で互いの身を清め、一糸纏わぬ肢体に服を着せてやる。
「んん、だめ……今日はもう、おしまい……」
 可憐な姿かたちによく似合う、カンパニュラの髪飾りと春めいたドレスを。
 ラベンダーの差し色が入った純白のドレスは、花の意匠やリボン、裾にあしらわれたフリルの愛らしさとは裏腹に、大腿とデコルテを大胆に露出したデザインだ。別段、そういった服装がハーデスの趣味というわけではないのだが、時と場を弁えた上で愛しい女が肌を見せているのは――当然、好ましい。白皙の肌に点々と残したあかい印や、体の至るところに這う紫黒色の蔦を視認できるのは気分が良かった。
「……ねえ、明日は外に連れていってくれる?」
 サイドボードから読みかけの本を手に取った女は、こてんとハーデスの腕を枕に寝そべり、この街で過ごしはじめてから幾度目かの望みを口にする。最初の内はこの特異な状況に動揺し、ただハーデスの傍らに在ることを良しとしていたのだが、やはり冒険者としてのさがなのだろう。何かと緊迫した状況下で訪れるばかりで、落ち着いて見ることができずにいたアーモロートを探検したいらしい。
「駄目だ。どんな綻びが生じているかわからない以上、外は危険だと言っただろう」
 自由にさせてやりたいとは思うが、まだだ。まだ、ハーデスがこの街に根付かせてしまった因果と混沌を、清算し終えていない。尤も、それが終わる頃には――……と、思索の海へと沈みそうになるのを、緩く絡められた指が引き戻す。
「でも……ここに来てからずっと、え、えっちしてる……」
 熱を帯びた頬をあどけなく膨らませて、彼女はやはり不満げだった。
「嫌だったか?」
 確かにそれはそうだ。一応、アルケオタニアに付けられた傷は塞いだとはいえ、酷い裂傷と熱傷により弱まっていた彼女の生命力を補強するため――と、もうひとつそれだけではない建前はあるが、四六時中抱擁し、手を繋ぎ、共に眠ることでも緩やかながら体内エーテルへの干渉は可能だ。
 効率的ではあるが著しく体力を消費する、性交渉という手段を選んだのは――ひとえに彼女に触れて、乱して、片時も離れることなくひとつになっていたいというハーデスの欲望ゆえである。
「嫌じゃないけど……幸せすぎて、怖い」
 彼女がそれを嫌になり、或いは負担を感じているのならば控えるべきか思案するも、どうやらそれは杞憂だったようだ。代わりに返ってきたのは、深い情を感じさせる言葉。つくづく、ハーデスを喜ばせるのが上手い。
「読みたい資料があればまたアカデミアから取ってきてやる。それにしても……それほど知識欲が旺盛だったとはな」
 ニームの軍学者の系譜を継ぐ癒し手として、魔法による治癒だけに留まらぬ医術と薬学に秀でた女が、ハーデスが英雄と聞いて思い描いたよりもずっと知性ある存在だということは知っていたつもりだ。このような状況下でも本を読みふけり、未知の知識を吸収しようとするとは――と。
 何の気無しに感慨をこぼした、それだけのことが。

「これでもシャーレアン魔法大学の出身だもの。いつかは賢人として、みんなと肩を並べられるように――」

 静穏と幸福に満ちた逢瀬に終止符を打つ、その引鉄になるなどとは、ハーデスは思いもしなかった。
「……待て。いつからお前、以前の自分のことを思い出していた」
 かつて――生前、クリスタリウムで。無尽光によって引き起こされたゾディアークからの揺り戻しに苦しむエメトセルクを、彼女が助けたことがあった。差し伸べられた小さな手を取り、転移魔法を行使した刹那にこの目で視た誰かの記憶。
 目の前の女と瓜二つのララフェル族の少女が、ルイゾワ・ルヴェユールに必死に何かを訴えかける光景。
「以前、の……?」
 自分が何を口走ったのかも理解していない様子で、女は不思議そうに首を傾げる。
「第七霊災以前の記憶がない、と言っていただろう。気づいた時には冒険者としてエオルゼアに降り立っていたと。あの閉鎖的な学術都市が、何の後ろ盾もない冒険者をを易々と受け入れるとは考えられない。それは、記憶を失う以前のお前の経歴ではないのか?」
 あれが真実、この娘であるのならば。今更になって失われた記憶を取り戻した切欠は何だ。良くない兆候に思えてならない。詰問する口調にならぬよう慎重に探ろうとして――失敗した。
 びくん、と女の肩が跳ねる。淡い虹彩の瞳が、焦点を失い虚ろに濁っていく。
「あ――……ぁ……そう、だ……わた、し……ダラガブが、砕けて…………終末と、おな、じ……」
 怯えた様子で自らを掻き抱く幼気な手が、血が滲むほど強く剥き出しの二の腕に爪を立てるから、ハーデスはその手を引き剥がし己の胸へと抱き込んだ。それでもなお身悶え苦しむ、光の使徒であるはずの女が――活性と激化の力を解き放とうとする。
「やめろ……もう思い出すな、それ以上は……っ!」
「まも、らなきゃ……ああ、わたしが、守らなきゃ……いけなかった、のに……ッ! ルイゾワ様……!」
「やめろ、《――》――……!」
 目を見開き、慟哭し、仰け反った女の背を、異形の翼が食い破る。黒く歪で、弔いの花を円環のように纏ったその痛ましい姿は、彼女との激闘でハーデスが見せたものに酷似していた。
 驚愕を受け止める間すらないまま、強烈な頭痛が、意識を刈り取って――……。

+++

 そのララフェル族の少女は、ルヴェユールを名乗ることを許されていた。生まれ持った魔法力の高さ故に恐れられ、捨てられた名もなき孤児であった彼女を、賢人ルイゾワが引き取り養子としたのだ。
 養子と言っても、ルイゾワと少女の年齢は親子というより祖父と孫ほどに離れていた。そのため少女は、彼の実孫である双子と、きょうだい同然に育てられた。
 シャーレアン魔法大学での医術と薬学の研究成果を認められ、ゆくゆくは賢人位を取得するだろうと噂された少女は、洋上の学術都市で幸福な日々を過ごしていた――第六星暦一五七二年、ガレマール帝国軍第Ⅶ軍団とエオルゼア同盟軍が、カルテノー平原において激突するまでは。
『遥か遠い昔にも、災厄がありました。星の理が乱れ、獣が命を喰い荒らした……』
 周囲の反対を押し切り、養父を追って戦いの場へと赴いた少女は言い募る。ダラガブの外郭が砕け顕現した蛮神が大地を蹂躙していく光景は、あの終末に酷似していた。幼いころ、流星雨の夢を見たときから、彼女には断片的ではあるものの、古の時代の記憶があった。
 ルヴェユールの家に引き取られ、学び、育った街シャーレアンとよく似た壮麗な都市。離れていても常に心は共にあった二人の親友。道を違えた十四人委員会の仲間たち。たったひとつ、されどひとつで己の就いていた座を象徴する、特別な魔法。
『あのとき何もできなかったわたしには、力ある者としての責務がある……! 然るべき星を喚ぶ術を、たとえこの魂では不足でも、わたしは……!』
 エーテルの集積器たる名杖トゥプシマティさえも折られた今、どれほどの大魔道士であろうと、現代のヒトの器で神降ろしを行えば無事で済むはずがない。ルイゾワはこれからもエオルゼアに必要な人物だ。それ以上に、大恩ある養父に命を懸けさせるような真似がどうしてできようか。
 ならば分かたれた魂では不足でも、自分がその役を果たすべきだと少女は決意し進言した。かつて命の限り歩み、地上の星々を繋がんとして――果たせずに終わったその願いの続きを、過去と現在の大切な人たちに報いるために。
『今はまだ、その時ではない』
 少女の提言を、しかしルイゾワは受け取らなかった。
『そんな……! 今この力を使わずして、どうするのです!わたし、は……わたしはっ……あなたを喪いたくない……お父様……』
 はらはらと涙を流す養い子の頭を一度撫でて、老賢者はその手を掲げる。血の繋がりがないことでどこか遠慮し一線を引いていた少女が、彼を父と呼んだのは、それが最初で最後だった。慟哭する彼女をまばゆい光が包み込む。
『お前さんは生きるのじゃ。もっと遠い未来、続いていく明日に、どうかこの星を救ってほしい』
 少女と、クリスタルに導かれた勇士たちを遥か彼方へと送り届けた大魔道士は、穏やかに笑み、自らの肉体と魂を、人ならざる高密度エーテルの渦へと焼却する。蛮神バハムートという脅威を、命と引き換えても斃すために。

 その日、一人の研究者が、当代の光の戦士たちと共に姿を消し、人々の記憶からも消え去った。
 五年の空白を経てエオルゼアに降り立った彼女は、すべてを忘れ、冒険者として歩み始めることとなる――……。

+++

 ――まばゆい光の収束と共に、過去視が霞む。
 鈍痛に眩む頭をおさえ、彼女の姿を探したハーデスの視界に飛び込んできたのは、目を覆いたくなるような凄惨な光景だった。
「ぁ……く、うう……」
 肉体の枷を外した自身とそっくりの、異形の翼を生やした女が、無数の光の杭――あの日ハーデスを斃したのと同じ、高密度の霊極性エーテルの刃に貫かれ、夥しい量の血に塗れ倒れている。
「ッ忌々しい……古の蛮神如きが、舐めた真似を……!」
 抱いたのは、護りのつもりだった。未だ物質界の縁を手繰れるだけの魔力と、この街に遺したエーテルとを時間をかけてすべて注いで、少しずつ彼女自身の魔力に溶け込ませようと試みたのだ。たとえどれほどの苦難が待ち受ける道であっても、彼女が歩んでいけるようにと。
 それが、どうだ。この身は死してなお、解き放たれてなどいなかった。ハーデスの魂に食い込んでいたゾディアークの活性と激化の力が、遅効性の毒のように彼女を蝕み、記憶の封印を打ち破る程に溢れ――それを感知したハイデリンは、彼女を諸共に殺しかねない強大な力で、異物を排除せんとした。
 忌々しい。本当に、忌々しいことこの上ない。弱く小さき命を翻弄し傷つけた光と闇の蛮神も、その可能性に思い至らなかった自分自身も。
「おい、聞こえるか! くそっ……処置をするが、暴れてくれるなよ……!」
「ぅ――ん……」
 問いかけへの反応が鈍い。声が届いているかも不明瞭だ。
 力なく倒れ伏した女を抱き起こす。全身状態の悪さは、厄災の獣に付けられた傷など比ではない。胸部、腹部、大腿と腕――太い血管の通る箇所に受けた損傷を、真っ先に治癒魔術で塞いでいく。自身の魔力を注いで良いのなら話は早いが、それではおそらく二の舞となる。水底の街を構成する魔力も同様だ。異物として光の加護を刺激しないように、黒風海にたゆたう本来の環境エーテルを手繰っては、ズタズタに引き裂かれた体組織を少しずつ再生した。
「は……ぁ……は……です、わた、し……?」
 傷を塞ぎ終えたころ、彼女が意識を取り戻す。不思議そうに視線を彷徨わせる瞳は、まだどこか焦点が合っていなかった。自身の身に起きた魔力暴走を理解はしていても、何を思い出し錯乱したのかは覚えていない様子だ。
「ここからが正念場だ。……辛ければ噛んでいいぞ、少しは気が紛れる」
「んッ、ぐ……」
 はくはくと開いては閉じる口に押し当てた指が、ぬるりと濡れる。それが肺を貫かれ気道をせりあがった血液だと気づき、やり場のない怒りが沸騰しそうだった。
「な、に……する、の……?」
 ハーデスの指を噛むことはせず、その小さな両手できゅっと握り、女は不安げに問いかけてくる。
「お前にとっては毒でしかない、過剰な星極性のエーテルを……引き剥がす」
 その問いに答えながら、ハーデスは彼女の胸、心臓の真上あたりにもう一方の手を置いた。蠢く茨が、柔い皮膚の下に巣食っている。愛と信じて注いだ、そのおぞましい呪詛を。
「あ、ぐう、う、あぁあッ、あああぁあ……!」
 引き抜き――握り潰した。
 悲鳴をあげ、のたうち、ハーデスの手に縋る女の肌から、紫黒色の蔦が消えていく。体内エーテルの均衡が光へと傾きすぎぬよう慎重に、劇毒と化した力のすべてを引き剥がし終える頃には、彼女の瞳もまた、本来の色へと戻っていた。
「う、く……は……うう……」
「これで終わりだ。よく頑張ったな」
「ん……さむ、い、寒いよ……ハーデス……」
 青褪め、震える娘を強く抱きしめながら、潮時だと、ハーデスは痛感した。この身に、そしてこの水底の街に残る魔力を明け渡して護りとできないのならば、生者と死者の理を捻じ曲げてまで、共に在り続ける意義はない。
 失われたはずの、彼女自身の来歴に関する記憶も、ひとたび封印が綻んだ以上、このような特異な状況に留め置けば、いつまた溢れ出すかわからない。
 ルヴェユール家の養子であった頃の記憶を取り戻せば、芋づる式に、少女が有していた『アゼム』の記憶も蘇ることになるだろう。ひとつの器に三つの人生が綯い交ぜになって、女の精神が無事で済むとは、ハーデスには思えなかった。
 なぜ、とかつての友に問いたくないと言えば嘘になる。思い出していたのならなぜ、探してくれなかった。なぜ、その魂の象徴たる召喚術を用いて呼び寄せてくれなかった。それでお前の不完全な器が壊れたとしても、クリスタルの助けがあれば繋ぎ合わせてやれる。あのとき中立を貫いたはずのお前が、ヴェーネスの遺志を継ぐ者たちに与するつもりだったのか――と。
 生前であれば――白日のクリスタリウムで、初めて彼女に触れた日にあの過去を視ていれば、ハーデスは無理やりにでも記憶の蓋を抉じ開けていただろう。計画を捻じ曲げ、彼女の心を壊してでも、親友を取り戻そうとしたはずだ。
「他人には説教をしておいて、実に身勝手な話だがな……」
「……?」
 当時、既にこの娘を愛おしく思い始めてはいたが、友の残滓を手繰れると知れば妄執が勝ったと断言できる。知らずにいたから、彼女を手折ることなく裁定し、決裂し、戦って敗れ、そして今がある。
 大切な誰かの魂を持つ別人を、その者を犠牲に『誰か』を取り戻す術があると知って、それでもひとりの命として祝福できるのか――その命題を苦しみながらも選択したという点において、光の巫女とガンブレイカーの男は賞賛に値する。
 伝える機会を得たとして、当人たちに言ってやるつもりは毛頭ないが。
「ね……ハーデス、お願いがあるの」
 腕の中、夢見るように目を細めた女が口にした。
「何だ? 可能な範囲であれば叶えてやるが……」
 永劫の別離を前にした今、できるならばどんな望みも叶えてやりたいと思う。それはひとりの男としての欲求であり、護ろうとして与えた力で傷つけたことへの贖罪でもあった。
「わたしたち、きっともう、一緒にはいられないんだよね? この夢が醒める前に……もう一度だけ、わたしを抱いて」
 見上げる瞳に涙と、強い意志とを湛えて、女は言う。
「護りだとか、力を分け与えるとか、そんなこと何もしなくていいから……ただ、触れてほしいの……」
 それを聞いて、横面を張られたような思いがした。
 彼女は、とっくに気づいていた。交わるたび過剰なまでにエーテルを注がれていたことも、その意図も。ハーデスの魔力によって編まれたこの幻影の街でならば悟られにくいだろうと考えていたが、その想定が甘かった。
 ――当然だ。エーテルに対する感受性が鋭敏であると、他でもない彼女自身が自負しているのだから。
 ならば、気づいていないはずがない。ハーデスの魔力にひそやかに息づいていた、ゾディアークという毒にも。
「お前……気づいていたな? 私が注いだ力が、その身を蝕んでいたことに。知っていてなぜ言わなかった!」
 問い詰めれば、氷晶の如き透き通った瞳から、はらはらと涙がこぼれはじめる。
「……欲しかったの、あなたがくれるもの全部」
 それでも決して視線を逸らさずに、女はその深い愛を告白した。
「それでこの身が砕けても、わたしがわたしじゃなくなっても……!」
 懺悔のようだった。自らの命も、『覚えている』という約束も、果たすべき責任をも放棄することになりかねない選択が如何に愚かであったかということを、きっと彼女自身が誰より理解しているだろう。
 己の非を理解し、悔いている者を責め立てるほど無益なことはない。もとより、彼女を責める資格など、ハーデスにありはしないのだ。
「――いや……悪かった。元はと言えば、私が撒いた種だったな。お前の想いも、その身を蝕み、守護とできずに傷つけるだけだった力も……」
「いいの。あやまらないで。もういいから、だから――」
 あいして、と薄桃色の唇が紡ぐ。
 その願いに答えないという選択肢は、存在しなかった。

◇ ◇ ◇

 夜明けまで深く愛し合い――迎えた朝。
「もう、外を歩いても大丈夫なの?」
「何も危険がない、という保証はないが……少なくとも、あの大口の獣が現れることはないはずだ。安心しろ。何があろうと、お前ひとりくらい守り抜いてやる」
 水底の街を、ハーデスと彼女は歩いていた。刻一刻と別れの迫りくる、静穏に満ちた朝焼けの中を。
「……なんだか、新鮮かも。誰かにそんなふうにはっきり、守るって言われるの」
 面映そうにうつむく女の頬には、幾筋もの涙が伝った跡がある。擦って赤くなった目元も、化粧で隠し切れていない。
「それはそうと……降ろしてくれないかな。この体勢、すごく子ども扱いされてるみたいで複雑なんだけど……」
 そんな弱さを誤魔化そうとするかのように、努めて明るく振舞い、それこそ子どものように拗ねてみせるところが堪らなく愛おしい。叶うならば自分だけの宝箱に、鍵をかけ閉じ込めてしまいたい程に。
「ほう……大怪我をして、その原因に荒療治の処置をされ、あまつさえその前後に抱き潰されて腰も立たない体でどう歩く気だ? おとなしく運ばれていろ」
 彼女を抱えて目的地へと向かうのも、ある意味、その仄暗い独占欲の発露ではあった。片腕どころか片手で軽々と持ち運べる小さな体を、態々両腕に抱き――この世のすべてから覆い隠すようにして。
「そも、これは子ども扱いじゃない。愛する女を……丁重に扱っているだけさ」
「あ、愛……って、うう……そ、そっか……そう、なんだ」
 ララフェル族の中でも殊更小柄な部類である彼女を、その種族的特徴ゆえに性的にまなざしたことなど一度もない。かと言って、それゆえに子どもと侮ったこともない。分かたれた命なりの常識や礼節を弁えた彼女は、はじめからその年齢相応の大人だった。大人だからこそ、ひとりの女を対等な立場で愛したのだ。
「今更照れることか? もっとすごいことを散々してきただろうに……」
「大切にしてくれてるのは、わかっていたけど……まだ、二度目だもの。愛してるなんて言われたの」
 ――それもそうか。初めて彼女を抱いたとき、衝動のまま口にして以来、言葉で想いを伝えたりはしなかった。
「……あ! ここ、アナイダアカデミア……だよね。ここにわたしを連れてきたかったの?」
 未だ少し照れた様子の彼女と共に、ハーデスは目的地へと到着した。創造機関アナイダアカデミア。学術都市たるこの街の中でも、研ぎ澄まされた叡智の集う場所だった。
「ああ。あの獣……アルケオタニアの件が、この海底を訪れた理由だろう? 動向を気にしているだろうと思ってな」
 本当は――本当はアレに彼女を関わらせるなどこの上なく業腹だが、できるかぎり憂いは払ってやりたい。
「ま、待って! だったらやっぱり、頑張って自分で歩くから降ろして……! アカデミアの内部も酷い有り様だったの。わたしを抱えてたら、戦闘に支障が――」
 言い募る声を無視し、ハーデスは歩みを進めていく。彼女は気づいていないようだが、ロビーには研究者も学生も受付の者も誰ひとりとして気配がなく、構内へ立ち入ろうとする二人を、見咎める者などいなかった。
「――え……?」
 内部へと繋がる重厚な扉が軋み、ひとりでに開いて、女はハーデスの腕の中、拍子抜けしたような声をあげる。
「すごく、静か……なんで……?」
 扉の先に続く景色は、あの忌まわしき事故の日のものではなかった。煙と毒の充満する火災や、魔力暴走を起こした者たちのエーテル異常の気配もない。
「静か、すぎる……何の、誰の気配も……」
 不思議そうに首を傾げる彼女を抱えたまま、ハーデスは構内を進む。そうして受付から程近い建物、水棲生物の研究を行っていたミトロン院へと足を踏み入れる。あの獣を捕獲し研究していたのはもっと深部の施設ではあるが、アカデミアがどのように変化を遂げたかは、此処でも窺い知ることができるだろう。
「ここに……人が、たくさん、亡くなった人が倒れていて、水槽を破った生き物が凶暴化して襲いかかってきたの。奥に進むほど強力な幻獣が……なのに」
 講堂には争いの跡ひとつなく、水辺の生き物たちは皆、水槽の中を悠々と泳ぎまわっている。往時の閉講後のような静けさが、辺りを支配していた。
「平和だった頃、に、戻ってる……?」
「ああ。海向こうの大陸で、未知なる凶暴な獣が創造される以前の……」
 永遠に続くと信じていた、穏やかな日々。なぜ意図せぬ創造現象が暴発したのか、真相は当代のラハブレアを始めとする研究者たちをしても解明できずに終わった。
 調査対象として捕らえた獣は檻を破り、凄惨な事故が起きたアカデミアに端を発すした恐怖が伝播し、やがて世界に終末が訪れた。
「この先、アレが幻体に魔力を宿し、黒風海を跋扈することはない。存在そのものが消滅したからな」
「それは……魔力の供給源……この幻の街の創造者たるあなたの攻撃で倒されたから……? ううん――そうじゃ、ない。もっと根本的な、存在の核が揺らいだから。この街を構成するエーテルが減少して、事故の日のアカデミアや、あの獣を、維持することができなくなった……?」
 ハーデスの言葉を受け、彼女は自分自身で、その因果関係を解明せんとする。
 仮説を立て、否定し、更に有用な仮説を組み立て推論を強化していくその姿勢は、研究者として好ましい。
「さすがだな。お前の推論のとおりだ」
「どうして? このアーモロートが消えれば、アルケオタニアの存在も定義破綻する、とは、わたしも考えてた。だから他の手立てがないか調査に来たの。でもなんであなたが、たとえ幻でも、愛した街を消してまで……」
「許せなかった。アレが――災厄の引鉄でもあったあの獣がお前を傷つけ、喰らおうとしたことが……どうあっても許せなかった。それが理由だ」
 かつての理想郷が滅んだ端緒。そのような忌まわしいモノが、手を取り敢えずとも愛した女の命を摘み取ろうとしたことを許せるはずがない。あまりにも身勝手で、理性を失した情動だ。しかしそれだけが、この不可思議な邂逅の中、ハーデスを突き動かしていた。
 討ち果たした者たちの願いを、かつてお前も此処に在ったことを忘れるな。そんな思いと共に置いて逝ったこの街を消すことが、惜しくなかったと言えば嘘になる。
 それでも、ただ滅びゆくだけだった幻を、彼女の糧とできるならと――欲を出し、自身を媒介にこの街を構成するエーテルを注ぎ込んだ結果引き起こした昨夜の惨劇は反省すべきところだが、それでひとつ、はっきりとわかった。
 ハーデスの力は、彼女を傷つける毒となる。護りとして託すことなどかなわず、その魂に眠る記憶を揺さぶり、ハイデリンは彼女もろとも異物と見做し排除せんとした。ならばこの街という縁ごと、なくしてしまった方がいい。
 それは愛した女を守るだけでなく、道を譲り、未来を託した宿敵の行く末を見届けるためにも必要なことだった。
「……どうして、そこまで。大切にしてくれるの。遺恨は残らなくても、わたしたち……どうしようもなく敵だった」
 真っ直ぐにハーデスを見上げる女の目から、ひとすじの涙が伝う。思えば泣かせてばかりだった。たとえ内在エーテルの反発が起きずとも、その弱くとも輝く命に、触れれば傷つけることはわかっていた。
 けれど、それも直に終わる。
「もう泣くな……お前に泣かれるのは、堪える……」
「で、も……だって――ん、んぅ」
 問いなのか、或いは告解なのか判然としない女の言葉には答えず、ハーデスはそのいとけない唇を塞いだ。余すところなく形をなぞれば、柔い粘膜が綻んでいく。涙に濡れた瞳がとろりと熱を帯びるまで溶かしてから、一度息を継ぎ――手の内に生成した果物を噛み砕き、飲み込ませた。
「ん、く……なに、これ……甘い……」
「ロートスの実だ」
「ろー、と……す……? あれ……なん、か、ねむ……」
 眠気を訴える声を紡ぎ切らぬまま、がくんと、女の体から力が抜ける。弛緩していてなお軽すぎる、小さき命を両腕で抱え直し、ハーデスはアカデミアの奥へと歩き出した。
 美しい花々の咲き誇るハルマルト院を抜け、ラハブレア院の屋上――幻想生物創造場へ。
 海上より陽光の降り注ぐ至大なる円形の台座。ハーデスはその中央に女を横たえ、指をひとつ鳴らすと、硬質な床を白い水仙の花園へと作り変えた。
「……すべてを忘れるお前に、許せとは言わないさ」
 深い眠りに落ちた彼女の傍らに跪き、その柔らかな頬に、幾許かの逡巡ののち唇にも口づけを落とし、何ら魔術的な防備を成さぬ紫水晶の指輪を、左手の薬指に嵌めた。
 そうして、ゆるやかに上下する胸のちょうど心臓の真上に手をかざし――注ぐ。注ぐ、燃え滓の命にほんのわずか残った、活性と激化の力に侵蝕されていない部分を。
 今度こそ真に、彼女の護りとなるように。
 祈りを刻んだ術者との思い出を永劫に焼却することで、その身を守る力と為すように。
「これで本当に最後だ。星の海か、或いは地獄か……ともあれ死者は死者らしく、手の届かない場所から見届けるとしよう。振り返るなよ……《――》」
 万感の想いを込めて、ハーデスは彼女の名を呼んだ。
 ――生きていてほしい。
 どうかその魂も、肉体も尊厳も、脅かされ踏み躙られることなどなく。
 弱くとも末永く、健やかに。
 最後に一度だけ頬を撫で、いつまでも触れていたいと名残を惜しむ手を離し、魔法障壁によって防護した『英雄』を、コルシア島の地表へと転移させる。
「は――……想定した以上の、消耗だな……ッ」
 元より、燃え滓でしかなかった命の核たる部分を注いだことで、限界が近づいている。エーテル界から物質界へと縁を手繰れるほど残っていた魔力の大半は、この海底本来の環境エーテルをもって彼女の傷を塞がんとした昨夜に、使い果たしていた。それほどに酷い傷を、この小さな命が負わされたのだ。
 ふらつく足を叱咤し、魔法陣を展開する。天へと掲げた掌に、泡沫の街を構成するエーテルを集積していく。在りし日のまぼろしが揺らぎ、崩れ落ち、跡形もなく掻き消え――水底に形を為すのは、朽ち果てた本物の遺構だけ。
 集積したエーテルを燃やし、灰燼へと帰し、成すべきことは終わった。あとは再び自身の魂が、星の海へと導かれるのを待つだけだと目を閉じたところに。
「忘却の果実を食べさせた上で、消しきれなかった記憶の焼却か……。随分と酷なことをするものだね、ハーデス」
 聞こえるはずのない、懐かしい声が聞こえた。
「……ヒュトロダエウスか」
「おや、泡に過ぎないこのワタシを、その名で呼んでくれるとは」
 燃やし尽くしたはずの虚構の街に存在した、旧き人々の影のひとつ。なぜか自由意志めいたものを有して事あるごとにお節介を焼いてきた『泡』が、傍らに立ち語りかけてくる。
「よく言う。オリジナルよりもよほど『らしい』言動をしておいて……」
「フフ、それはキミの『ワタシ』への信頼が為せる技だね」
 彼をまがいものだと断じて切り捨てることなど、ハーデスにはできなかった。あまりにも往時の親友と酷似した、それ以上に彼らしい言動の数々をどうして懐かしまずにいられようか。
 ――そうでなくとも大切だった。背負った数多の命たちへの責任よりもずっと、この男と――違う道を征けども最後まですべてを諦めなかった、あの魂の、元の持ち主が。
「いいのかい? 彼女の記憶から、永遠に消えることになって……覚えていろと、約束したのに」
「膿んだ傷口を抉じ開け続けるような思い出は、この先、枷となるだけだろう。覚えているのは『私たち』のことだけでいい」
 すべてを視ていたらしい彼の問いは、『ヒュトロダエウスならばこう言うはず』と信じた、その発露なのか。
 或いは誰かに、彼に問うてほしいとハーデスが願ったことなのか。
「ふむ……そう上手く、忘れてくれるものかな?」
「忘れるさ……忘れてくれなければ、困る」
 それすらもわからないまま言葉を交わすうちに、意識が薄らいでいく。悔恨も悲嘆も寂寞も、すべてを呑み込んだと言い切れば嘘になる。だが、答えは得た。成し遂げられずとも生き抜いたのだ。この上生と死の理を捻じ曲げるつもりは、ハーデスにはなかった。
「……キミがそう言うのなら、そうなのだろうね。ともあれお疲れ様、ワタシたちのエメトセルク。どうかキミの眠りが安らかな――その……先――……と、また――……」
 二度目の死は静寂の中に、旧き友の祈りを最後まで聞き届けられぬまま、落ちて、落ちて――墜ちていく。
 星と生命の沈む場所、還るべき海へと至る。
 高密度の霊極性エーテルに貫かれて霧散した一度目と比して、穏やかなものだと安堵の息を吐いた――そのとき。
「が、は……ッ……!」
 拍動を終えて久しい虚ろの胸を、飛来した何かが貫いた。
 それが暗紫色の槍だと、見下ろし視認した傍から、続けて襲い来たその鋭利な刃が腹部を、腕を脚を串刺していく。
 激痛に耐え切れずその場に倒れ伏せば、どこからか声が聞こえてくる。
《ドウ……シテ……》
《ドウシテ私タチヲ、踏ミ潰シタノ……》
《生キテイタカッタ……ダケナノニ……》
 計画のためと利用し翻弄した、『なりそこない』達の。
《アナタハ私ヲ、愛シ、テ……》
《私ヲ……ナゼ私ヲ、見テクレナイ……アア、痛イ、助ケテ、助ケ……オ祖父様……》
 子を成すため番った皇妃の、目を背け冷たくあしらい続けた孫の。
《ナゼ連レテ帰ッテクレナカッタ……》
《帰シテ、還シテ……私タチヲ……》
《還リタイ……ドウカゾディアークカラ、解放、シ……》
 救えなかった同胞たちの、無数の、愛憎と怨嗟と悲嘆の声が木霊する。
 その声たちに呼応するように、身を貫いた槍が次々と発火し、ハーデスの霊体を――魂を灼いた。
 物質界で、分かたれたヒトに混じり生きる中で経験した数多の死など凌駕した、想像を絶する苦痛が駆け巡る。痛みを軽減することも、痛みのあまり意識を手放すことも、既に死した身では為し得ない。
「これが……報いか…………」
 魂を『視る』ことができる目を持つその意味を、ハーデスは重々承知していた。
 それは、命の重みを知るということ。
 到底『生きている』とは思えない分かたれた命たちが、真なる人からすればおぞましいとすら思えた矮小なそれらが、どうしようもなく『生きて』いたことを、ハーデスは誰より理解していた。
 同じだけの強さを持つ命だとは今をもってなお認めていないが、路傍の花にさえ魂は宿る。
 無為に摘み取り贄として良い命など、この世界にはひとつとして存在しないのだ。
 何千、何万、何億の生を犠牲とした罪は重い。
「当然だ。ならば――……」
 ならば、その咎はすべて自分が背負うとしよう。
 散って行った同志たちに、あのクリスタルの塔で眠る少年に、累が及ぶことのないように。
 永劫に続く呵責のはじまりで、ハーデスはひとり、誰にともなく誓った。

 

 


 

 

chapter:5/Don't look back.


 波の音に揺られて、冒険者は目を覚ました。
 潮の匂いが鼻腔に触れる。辺りを見回せば青く澄み渡った海と、遠く聳え立つ岩壁があった。コルシア島の――クラックシェル海岸だろうか。
「わたし、なんでこんなところに一人で……」
 何か気がかりがあって海底に潜ったような覚えがあるものの、記憶は靄がかかったように曖昧だ。
「……?」
 ひどく重い体を起こす。波打ち際に倒れていて、少し濡れてしまったからか肌寒さを感じた。
 水面を覗き込めば、自身の服装がどこか、身に覚えのないものとなっている。ラベンダーの差し色が入った純白のドレスに、紫のカンパニュラの髪飾り、左手の薬指には大きな紫水晶の指輪――嫌いではないが特段好んでいるわけでもない色味で統一された、こだわりを感じる装いだ。
「――……! ……さん……!」
 不意に、人の気配が近づいてくることを感知した。誰かの名前を叫ぶ、少女の声と共に。それはとても聞き覚えのある大切な、妹のように思っている子の声だと、冒険者が気づいたそのとき。
「本当に、ここにいた……やっと見つけた……!」
「リー、ン……わぷっ」
 勢いよく飛びついてきた人影によって、再び体が砂浜へと沈んだ。いくら鍛錬を積んでいるとはいえ、リーンがまだ少女とはいえ、長く眠っていたような気だるい体で、ララフェルがヒューラン――ヒュム族を受け止めるのは無理がある。
「よ、よかった、無事で……っ、本当に、よかっ……く、うぅ、うわあああああん!」
 今まで見たこともないほど感情を露わに、後からあとから涙を流し、リーンが泣いている。困った。患者を落ち着かせるのは職業柄慣れているが、泣く子を宥めるのはあまり得意ではない。どうしたものかと首を捻っていると、ぱたぱたとまたひとり、誰かの駆けてくる足音が聞こえた。
「あ、ガイア……どうしたの? あなたまでそんなに取り乱して」
 真上から覗き込まれて、その人物が誰かを知る。リーンと対を為すような、闇色を纏った少女。無の大地の再生計画において知己となった、リーンの大切な友人だ。
 いったい何事かと冒険者が問いかければ、ガイアはキッと眦を吊り上げる。
「どうしたの、じゃないわよ! あなた、三か月も行方不明になってたんだから!」
「さ、三か月? そんなに?」
「十日で戻ると言ったあなたが戻らないって妖精王を通じて原初世界から連絡があって、向こうも大混乱だし、リーンはずっと泣いてるし、時間が経てば経つほどクリスタリウム中お葬式みたいになって……ああもうっ! 大変だったの!」
 ガイアの口から告げられた事の次第に、冒険者は目を瞬いた。シルクスの狭間から第一世界へと発ち、クリスタリウムに顔を出して――それから何をしていたかは記憶にないが、まさかそんなにも長い間、自分が行方を眩ませていたとは思わなかった。
 これは原初世界に戻ってからもお叱りを受けそうだ。人前では気丈に振舞っているだろうけれど、アリゼーも泣いているかもしれない。
「ノルヴラント、でも、大々的に捜索をして、てっ、でも、でも、ひっ、さんかげつも、経って、みんな諦めててえっ」
「ヴェンモント造船所の人から、今朝連絡があったのよ。浜辺で倒れてるあなたを見つけたけど、何か見えない壁のようなものに阻まれて、救助しようにも近寄れないって。それで私たちが来たんだけど……」
 しゃくりあげ、うまく言葉を紡げないリーンのその先を、ガイアが引き取って説明した。
「……あなたを慕ってるリーンと、アログリフだった私だから、許されたってことかしらね」
 どういう意味だろうかと、またもや冒険者は首を捻る。たしかにガイアはアシエン・アログリフの転生体で、それこそが『エデン』を巡る攻防にて重要な意味を持ったが――それと浜辺に倒れていた冒険者を囲う障壁が、彼女たちを受け容れた因果関係とは何だろう。第一世界での旅路を胸中で振り返ってはみるも、皆目見当がつかない。しかし目を伏せ、心当たりについて思案する彼女は、それ以上を語る気はないようだった。
「何が……この三か月間、何があったんですか……?」
「ごめん……それが、よく覚えてないの。なんだか、長い夢を見ていたような気はするんだけど」
 ようやく嗚咽が落ち着いてきたリーンの問いにも、冒険者は明確な答えを返せない。本当によく覚えていないのだ。以前受けたオンド族からの調査依頼の経過を気にしていたという、そこまでは思い出せた。海底を跋扈する大口の獣――何度討伐しても現れるというその脅威について。ソレが再び潮溜まりを脅かすことはなくなった、はずだ。
 結果はおぼえている。過程がわからない。
 ただ――そう。ひどくいとおしく、かなしい、幸福な夢を見ていたような寂寞だけが残っている。
「とても大切なひとに、大事なものを貰うユメ……」
 カンパニュラの花飾りと、左手の薬指にある指輪、この身に纏ったドレスも。魔術的な防備としては意味を為さないものの、誰かの優しい想いを感じる。
 そして形に残るモノ以上に、大切な何かを受け取った気がするのに――それが何なのか、それをくれたのが誰かも、まるきり覚えていないのだ。

◇ ◇ ◇

 医療館で診てもらうべきだ、そうでなくとも数日はクリスタリウムに滞在して養生するべきだと心配する少女たちをなだめ、冒険者は急ぎ原初世界へと帰還することにした。リーンには特に心細い思いをさせてしまったことが気がかりではあったが、界渡りをできるのが自分ひとりである以上、暁の血盟の面々にもきちんと顔を見せ、安心して良いと伝えるのが先決だと思ったからだ。
 フェオ=ウルを通じて連絡したとおり、シルクスの狭間の転送装置ではなく、レヴナンツトールのエーテライトへと直接テレポを行えば――見慣れた石造りの景色より先に、やわらかなクリーム色が視界いっぱいに広がった。
「ばかっ! 心配、したんだから……っ!」
「アリ、ゼー……く、くるし」
 ぎゅうぎゅうと力の限りに、抱きしめられている。とても苦しくて、正直言って痛いくらいだ。
 けれど冒険者には、大切な妹分の腕を振り解くことなどできなかった。昼夜を問わず人の行き交うこの街の只中、気高く強い彼女が人目も憚らず泣くなんて余程のことだ。その余程の事態が起きるほど心配をかけた、大切にされていることの痛みを、甘んじて受け入れるべきだと思ったから。
「アリゼー、アリゼー。気持ちはわかるが、それくらいにしておくんだ」
「そうだぞ。俺も気持ちはよーーくわかるが、英雄が潰れた餅みたいになってる……」
「ぷはっ……し、失礼な。ララフェルは餅じゃな……」
 目を赤く腫らしたアルフィノとグ・ラハが見かねた様子で止めに入ってくれるまで、冒険者はアリゼーに抱きしめられたままでいた。
「……アルフィノとラハも、泣かせちゃったんだ。三人とも沢山心配かけて、ごめんね」
「あ、いや! 私はその、そう、目にゴミが入ってね!」
「お、俺も、あー、徹夜で本を読んでただけだぜ!」
「ちょっと、見苦しいわよ男子二人! このひとの無事がわかって、私よりずっっっと大号泣してたじゃない!」
 アリゼーの暴露によって青年と少年は慌てふためき、しんみりとした空気が薄れていく。賑やかな彼らを見て、冒険者はやっと、人心地がついた。三か月という長きに渡る記憶の消失は、その間に得た何かが悪いものではなさそうでも、やはりどこか不安だったのだ。
 ルヴェユール兄妹の間で二人と手を繋ぎ、先導するグ・ラハの背を追う。こちらの体調を気遣いゆっくりと歩いてくれる三人とともに、冒険者は酒場を抜け、石の家へと足を踏み入れた。
「はわわ、冒険者さん! お、おかえりなさいでっす!」
「! よかった、無事に戻ってこられたのね。みんな心配してたのよ」
「タタル、クルル、ただいま。心配させちゃってごめんね」
 扉を開けて真っ先に声をかけてくれたのは、受付嬢と頼れる姉のような人だった。駆け寄ってきた彼女たちに左右から抱きつかれ、双子とも手を繋いだまま揉みくちゃになっている冒険者の前に、長身の影がふたつ、すっと地面に落ちる。
「お帰りを、我ら一同心待ちにしておりました……」
「連絡が取れない状況だった、というのは聞いたが……あまり一人で無茶をするなよ」
 膝を折り、目線を合わせて話しかけてくれる二人は、かつて冒険者の身に起きたことを知っている。内々の場では今もこうして萎縮させないよう配慮してくれるのだ。こんな時だからいっそう、その気遣いが有り難かった。
「ウリエンジェ……サンクレッドも、ごめん。リーンとガイアも、不安にさせちゃった……また落ち着いたら、改めて顔を見せてくるね」
 大切な仲間たちを心配させてしまったことが心苦しくて、心配してくれたことがうれしくて、彼らと共に歩んで行けるのならこの上ない僥倖だと思える。
 けれど――まだ、あと一人。言葉を交わせていない。
 名残惜しく思いながらも繋いだ手と抱擁を解いて、彼女のもとへと歩み寄った。
「……シュトラ、怒ってる、よね。ごめんなさい……」
 壁際でひとり沈黙を保っていたヤ・シュトラは、冒険者の言葉に緩く首を振る。
「いいえ――いいえ、怒ってなんかいないわ。不安にさせてしまってごめんなさい。私も当然、心配はしたけど……そうじゃない。そうじゃ、ないのよ……」
 光を失い、見えないものが視えるようになった彼女の、薄青色の瞳が――何かを『視て』いた。いかなる時も毅然とした態度の彼女が、こんなにも言葉を探し、惑いながら物を言うのは、決まって、仲間を傷つけまいとする時だ。
「あなた……そのエーテル……うっすらとだけど寄り添う魔力は、まさか『彼』の……エメトセルクの……?」
 そうして、迷いながらもヤ・シュトラが口にした言葉を聞いて――すべてを、思い出した。
「え……?」
 それは――……あのひとの、座の名前だ。
 どうしてこんな大切なことを、忘れていたのだろう。
 もう二度と会えるはずのなかった、大事なひと。理を捻じ曲げ、生者と死者の境界を飛び越えてまで、厄災の獣に噛み砕かれんとした命を助けてくれた。水底の街で想いを告げられて、何度も深く愛された。
「……そうだよ、シュトラ。わたし、テンペストで……あのひとと会ったの。あのひとを……愛してる……のに、」
 左手の指輪にそっと触れる。確かにそこに、微弱ながらも愛した男の魔力を感じるのに。
 この手で奪い討ち果たした彼らの悲願をすべて、おぼえているのに。
「あ……あ、いや、嫌ぁっ、わすれ、たくない……忘れたく、ないのに……! 名前……名前、が…………」
 こうして思い出せたはず、だったのに。
 薄らいで、消えていく。落ちていく。こぼれていく。
 エオルゼアの英雄ではなく、アシエンの宿敵たる光の使徒ではなく、ただひとりの女が憶えていたかった、何もかも。
「っ駄目よ! その記憶の焼却……それ以上、無理に思い出そうとしては駄目! あなたの心が壊れてしまう!」
 ヤ・シュトラの制止を振り払い、冒険者は手繰る。ごうごうと業火に灼かれて切れかけの糸が、たしかにひとつ繋がるよすがが、手の届かない場所へと消えてしまう前に。
「……ぁ…す、はーで、す……っハーデス、あ、ああ、ハーデス……!」
 記憶の端、星降る終末の幻影の中にあった名前を叫ぶ。
 泣き濡れた声で何度も、何度も繰り返すうち、自分が何を呼んでいたのかも、わからなくなって――……。

「だ、れ……あなたは、誰……なの……?」

 ついに――思い出が燃え落ちる。
 駆け寄り、崩折れた体を抱き留めてくれたアリゼーの腕の中で、冒険者は訳もわからぬまま涙を流した。
 たしかに大切だった誰かがいたという、漠然とした認識だけが、心の奥底に残っている。
 けれど、もう、そのひとの微笑った顔も。
 名前を呼んでくれた声も。
 まるで日に焼けた書物のように、思い出せなくなっていることに気づいた。


 

chapter:終 星落つ微睡みのリリウム


 ――あれから、何年、何十年が過ぎたのか。
 広大な星の海のほとりで業火に灼かれながら、ハーデスは輪廻に導かれるいくつもの魂を見送った。どこか見知った色を持つものも中にはあったが、彷徨することなく忘却の川を渡っていくそれらに、かける言葉などありはしない。
 かの英雄の軌跡も最期まで、見届けた。一万二千年の因縁に終止符を打ち、その後も一人の冒険者として、流星のごとき戦姫として、或いは慈愛の軍医として世界中を駆け抜けた彼女は、多くの友に看取られ老衰で息を引き取った。
 死してなお面倒事に関わっていないのであれば、そろそろ彼女の魂も、この海へと落ちてくる頃合いだ。無論、彼女がここへ来たとして――ハーデスは何をするつもりもない。とうに終わったことなのだ。念入りに消し去った彼女の記憶が蘇るはずもなく、理を捻じ曲げて生者と死者のあいだに紡がれた縁など、世界が赦しはしないだろう。
「ああ……噂をすれば、か」
 淡い虹色の、清廉な輝きが、静かに水底へと舞い降りる。
 その煌めきが少しも損なわれていないことに、ハーデスは安堵した。かつての親友も、未来を託した者も、欠けることなく次の命へと巡って往ける。
 見届けることが許されたという、それだけで充分だ。
 満ち足りた思いを胸に目を閉じようとした、その時。
「な……っ」
 忘却の川を渡っていこうとした魂が、ふらふらと漂い、近づいてくる。その輝きはハーデスの眼前で目の眩むほどの光を放ち、そうして。
「馬鹿な……なぜお前が……!」
「だって、あなた……泣いているから」
 あの泡沫の邂逅に手放したはずの、最愛の女のカタチへと変化した。最後に贈ったドレスと髪飾り、そして左手の指輪を欠くことなく身につけた女の――氷晶のごとき淡い色の両目が、ハーデスのソレを写し取ったかのような金糸雀色に染まっていく。
「こうして魂だけになって、わたし、やっと自由なの。だからあなたを見つけて、全部思い出すことができた……」
「全部、だと……? まさか」
「そう、全部。他人の人生を見ているような感覚だったけれど、ルイゾワ様に拾われて、シャーレアンで生きたわたしのことも……あなたの親友だった、アゼムのことも。こうしてあなたのもとに来たのが、なりそこないのわたしで、ごめんね……でも、」
 染まりきった瞳に涙を湛えて、女は言う。
 もう過ぎたことだと、過去を取り戻せぬことなど理解していると、その雫を拭ってやらねばならない――違う、こんなにも穢れ切った罪人の手で触れてはならないと、葛藤に苛まれるハーデスの胸中も知らずに。
「ハーデス。あなたを――……愛してる」
 その儚くも気高い祈りが、水面を揺らす。
 思い出を消し去り、手放したはずの存在。
 自分が何者であったかさえも忘れ、まっさらに生まれ変わるはずだった魂。
「……っ駄目だ。この業火の檻が視えるだろう。お前は正しく生を終え、そして転生する命だ。もう……金輪際、私などには関わるな……」
 冥府が定めた大罪人には欲する資格などない、尊ぶべき命が――忘却を凌駕し、今も己を愛していると言う。
 欲しいに決まっている。触れたい、もう一度抱きしめたいと、どうして思わずにいられようか。
「もう、大丈夫。もう独りじゃないよ。あなたの罪も、苦しみも悔恨も、わたしが一緒に背負っていくから――だから」
 遠ざけんとするハーデスの言葉に首を振り、一歩、また一歩と、女は歩み寄ってくる。
 ついには灼熱の炎の内へと踏み入り、その脆すぎる魂が傷つくことを厭わずハーデスを抱きしめて。
「だから……そんなモノとは、縁を切りなさい」
 凛と、冷徹な戦士の声で告げた。
 清廉なるエーテルの奔流が吹き荒れ、彼女の身を包むドレスが、癒し手の戦装束へとカタチを変える。
「蛮神如きが……いい加減、勝手が過ぎる! これ以上このひとから、わたしの愛した人から、何も奪うなーーーッ!」
 怒りに満ちた絶叫と共に、その小さな手が力強く掲げた魔導書から更なる光が迸り、辺り一帯を包み込んだ。
 目を開けていられないほど眩しく、しかし嵐と呼ぶには優しすぎるその力の波動が再び彼女の掌へと収束する頃には、燃え盛る炎と暗紫色の槍が、跡形もなく消え去っていた。
 数十年――アシエンとしての彷徨に比べれば瞬きほどの歳月であったが――ハーデスが受け続けた責め苦による痛みもすべて、嘘のように和らいでいる。
「蛮神……だと? まさか……」
「こんなに手酷く傷つけられて、判断が鈍ったのね。アレは冥府の意志なんかじゃない。あなたを手放すまいと足掻いた、ゾディアークの傍迷惑な祝福、で……」
「おい! しっかりしろ! とんでもない無理筋を押し通すからだ、この馬鹿者……!」
 その身には余る力を解き放った反動か、ふらついた女が水面へと倒れ込みそうになるのを、寸でのところでハーデスは受け止めた。
「だいじょうぶ……そんなにあせらなくても、わたし、消えたりしないよ……?」
「そういう問題じゃない。頼むから、その魂ごと罅割れるような無茶をしてくれるな……」
 多くを背負い、託されて歩んできた、あまりにも小さな体を抱きしめる。すべての権能を失い、理を捻じ曲げるほどの魔力も尽きた今となっては、本当にただ祈ることしかできやしない。
 この魂が、また、砕かれることなどないようにと。
「……光と闇は、それ即ち正義と悪なんかじゃない。でも、どちらも行き過ぎれば、命あるものにとっては毒になる」
 どこか照れくさそうにもぞもぞと身じろいでいた女は、数瞬の後、観念した様子で抱擁を受け容れる。彼女の紡ぐ言葉に、その通りだとハーデスは頷いた。だから第一世界と第十三世界は、傾きすぎた極性の氾濫により多くを喪った。
「ねえ、ハーデス……本当はね、気づいてたの」
「気づいていた? いったい、何に――」
「あの日クリスタリウムであなたが苦しんでたのは、無尽光だけじゃなくて、ゾディアークからの過剰な干渉のせいでもあるって……だから、その……すべてが終わった今だから、自由にしてあげたくて……めいわく、だった……?」
 所在なげに眉を下げた彼女の瞳に再び、水の膜が揺らぐ。
 あんなにも強気で啖呵を切り、太古の蛮神ひとつ吹き飛ばしておいて、妙に自己評価が低いところは変わっていない。
 その愛らしくも懐かしいちぐはぐさに、くつりと、喉の奥で笑いがこぼれた。
「な、なんで笑うの!」
「いや……何、相変わらず、愛らしいと思っただけだ」
 柔らかな頬を伝う涙を、今度こそ躊躇わず拭ってやる。そのまま顎を掬い上げ、薄桃色の唇へと口づけた途端――昏き天の水底に、一面の白い花が咲き乱れた。
「わ――なに、花……? 何の……?」
「不凋花……アスフォデロスの花だ……。ああ……ああ、そうか……」
 赦されたのだと、込み上げた感慨が、熱く目の端からこみあげる。
「泣いて、るの? ハーデス……」
「もう、離してやれないぞ。本当にいいんだな」
「そんな……そんなの、当たり前じゃない……。もう二度と離さないで……」
 隙間なく抱き合い、花園へと倒れ込む。意識が、自我が薄れ瞼がおりていく――狭まる視界のなかで、彼女も同様に、目を閉じようとしていた。

 悠久の眠りの、その汀で。
 ふたつの魂は漸く、ただ共に在ることが叶った。


fin/