海にもなれない

※救いがないです
※登場人物が自死を望む/試みる描写があります
※マルコの見聞色は”人の生命活動を感じ取ることに特化している”という独自設定

 

 

 死んでしまったら愛しい人たちを思い出すことすらできないと、あと何度、そんな強がりを言える?


「故郷の土が一番! きっとイゾウも、そう思ってる……」

 そう告げた声は、震えてはいなかっただろうか。
 雪の降りしきるばかりの静寂の中では、鼓動も呼吸も何もかも、隠し通せる気がしなかった。
 連れて帰りたかったに決まっている。
 あの楽園の島へ、二度とは戻れぬ白鯨の船へ。
 たとえ骨だけになって、それすらも土に溶けて消えても。少しでも近くで眠りたかった。
 それが許されぬ願いだと、痛いほどにわかっている。
 愛した男の帰る海にすら、マルコはなれなかった。
 どこで間違えたのだろう。いつから間違えていたのだろう。
 城を覆う火を消す前に燃え落ちていた区域から見つかった遺体は、酷い、という言葉でも足りない有り様だった。せめて、遠く離れても耳に届く心臓の鼓動が弱まってすぐ駆けつけていたら――違う。業火の中で手を離さずに、燃え尽きて墜ちても何度でも、この身を盾としていたら。
 それだけが、意味のあることだったのに。
 そうすることでしか、生き残ってしまった罪を贖えないのに。
 また、この命を使えなかった。

「う……」

 遠く、地平から射す朝の光に目を瞬いて、浅い眠りは過ぎ去った。
 眩しさから逃げるようにマルコは、藤色の絹へと顔を埋める。こんなものを抱いて眠ったせいか、雪原に立ち並ぶ墓の、ひどく寒々しい光景を夢に見た。今もなお深く胸に残る傷の、ひとつの思慕の終幕に息が詰まりそうになる。それでもマルコはもう、白檀の残り香も薄れかけた布切れに縋らなければ、泡沫の夢を見ることすらできなかった。
 ――自分がこんなふうに擦り切れることを、イゾウは予期していたのだろうか。否、あれは結構がさつな男である。この村で共に暮らした一年の間でマルコの住まいに増えた私物のことなど、すっかり忘れ去っていたかもしれない。
 洗い替えの着物、折れた簪に、予備の銃。すべて二人分揃えた日用品のほかにも、こんなにも、イゾウのいた跡が残っている。
 少しずつ匂いが薄れて、ただ形をなぞるばかりになっても。マルコが捨ててしまわない限り、永遠に。
 もとより期限付きの恋だった。
 いつかは己が命に代えても仇を討つ心算の男を生に繋ぎ止めるだけの言葉をマルコは知らず、ならばせめてこの身が燃え尽きるまで盾となって、共に逝きたいと――それを孤独へと帰結した人生の、最後の救いとしたかった。
 生きて戻るつもりがあるなら、そもこの島を離れるはずがない。墓守を託す当てを見つけていたからマルコは、帰る道の標を――スフィンクスの永久指針を持たず海を渡ったのだ。
 そんなことはわかっていたくせに、イゾウはマルコを、置いて逝った。
 業火の中差し出した手は振り払われた。
 それが――突き放すことが愛なのだと知っていて尚、マルコは裏切られたような気持ちになった。
 この家に残された銃にごく普通の鉛玉しか装填されていなかったことを思い知って、再度、心は引き裂かれた。血の一滴すら落ちない冷たい床に膝をつき、ただ硝煙の匂いが立ち込める中で、涙さえも枯れ果てて。絶望という言葉の意味を理解した。
 当たり前に生きて、食べて、眠って、目覚めて、この体は生きようとする。壊れることも、緩慢な自死すらもできなかった。誰を喪っても立って、生きて帰れと、魂に刻み付けられた願いがあるから。
 こんなにも痛いのに、痛くて堪らないのに。生きていたくないと、まだ心の底からは思えないなんて。
 この身は真実、化け物のようだと思う。
 いったい、いつになれば役目を果たせる?
 胸を張って生き抜いたと言える?
 体温を忘れて、声を忘れて、顔を忘れて、思い出のすべてが燃え尽きる前に。

「はやく、お前のところに行きたい……」

 願いを口にすれば、よりいっそう寒さが増す。
 指先に蒼炎を灯せども、心は昏く凍てついていた。

 


 

 別れ際、手のひらに灯された再生の炎は、とうに燃え尽き霧散していた。
 尤も、死にゆく体がどれほどの熱を感じ取れるのかも定かではない。それでも忘れ得ぬ命の温度が傍らにあるように思えるのは、なぜだろう。
 或いはそれを、愛と呼ぶのか。
 いずれにせよ――よかったと、そう思う。
 白鯨の船に揺られて育った不死鳥の加護が、人の理を外れた力へと覚醒することがなくてよかった。たとえば能力者の命を削っても、炎を分け与えられた者に強力な回復をもたらすような――今この時に、イゾウを蘇生するようなものではなくて。
 CP0と相まみえたのが、自分だけでよかった。悪魔の実の継承あるいは簒奪の術を、世界政府は確実に知っている。たとえ最優先の排除対象ではなかったとしても、目の前に現れたのが稀有なる幻獣種の能力者であったなら、果たして奴らは”会わなかったことに”しただろうか。

「許せよ、マルコ……。お前を、連れて逝ったりしたら……おれぁ、オヤジに殺される……」

 小さく袖を引いた指先の、伝えたかった願いをイゾウは正しく理解していた。何年一緒にいたと思っている。笑顔しか知らないようなあの快活なクソガキが、少しずつ少しずつ、しがらみと責任を背負い込み昔ほど笑わなくなっていくのを誰より近くでずっと見てきたのだ。
 最後まで盾として、果てるなら連れて逝ってほしいと――そう言いたくて、言えずにいるのだろう唇を塞いで。生きて戻ると、幼子でもわかるような嘘を吐いて突き放した。
 連れて逝きたかったに決まっている。
 未練と、その一言で片付けるにはあまりにも、この感情は醜悪だ。
 出会ったときの面映さも鳴りを潜めるほど、刹那の幸福に、常にどこか翳りが付き纏うような恋だった。
 帰っては来なかった主君。父と慕ったひとの体を蝕む病。裏切りと謀略に絡め取られ、守りたかったものも帰りたい場所も、なにひとつ守れず散り散りになった。
 支え合って生きているつもりでいたのだ。
 夜の静寂に、夕暮れに、朝焼けの中に――息を潜め二人、身を寄せ合うことでしか、上手に泣けないと気づくまでは。

(――ああ。けど……この戦いに、連れてくるべきじゃあ、なかった)

 置いて逝けばあの男の中で永遠になれると知っていた。
 けれど――それはどこか手の届かぬ場所で果てたと、真偽も定かでない風の便りに届くくらいでよかったのだ。命の尽きゆくまでの刻一刻を、味わわせたかったわけでは、ない。
 今もきっと、聞かせてしまっている。
 殆ど燃え滓のような鼓動が、少しずつ弱まりゆくのを。
 ビブルカードが焼け落ちて消える様を見るまでもなく、死体を目にするまでもなく、マルコはイゾウの死を知るだろう。
 疵を残したかったのも、永遠になりたかったのも本当だ。
 この先ほかの誰かを同じように愛してほしくはないし、生涯引きずってほしいとさえ思う。
 もう、戦場の只中で呆然と立ち尽くしていても助けてはやれないのに。
 その涙を拭ってやることもできないのに。

(本当に……馬鹿だ。今更気づくなんて)

 死して尚縛り付けたいと望むほど、この想いは歪に成り果てたけれど。恋慕う気持ちに気づいた少年の日、願ったのはただ――。

(……おれが、幸せにしてやりたかった)

 悔いたところでもう遅い。
 とうに視界は黒く塗り潰され、炎の爆ぜる音すらも遠く。
 イゾウは海に、帰れなかった。

 

fin.
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ようやくアニワンの方で二人の結末を見ました。アニオリで盛られなくてよかった~て安堵してもう一度見返したら「きっとイゾウもそう思ってる」とか台詞が追加されていて???人の心?????という衝撃で書いた話でした。
え……本当に何でそん……え……?と思いながら今もその原稿を書いています……?????