その囁きに愛を灯す

※ハピエンですが落とし前戦争の捏造及び生存ifの絡繰の代償として重篤な後遺症の描写を含みます。
※ヘキ全振りHシーン 乳首責め、乳首イキ、潮吹き、結腸責め標準装備




 未練は、この世でもっともうつくしくあたたかい炎の形をしていた。
「――……」
 不思議なこともあるものだ。業火に沈む城の中、確かに自分は死んだはずだというのに。指先に未だ、あの灯火の感覚があった。炎と聞いて想起するような苛烈さとは程遠い、慈愛と信念を宿した幻想の蒼色。
 再生の炎に死者を蘇生する力はない。いかに悪魔の実の能力は宿主の想像力次第とはいえ――そうであるからこそ、思い込みや刷り込みを凌駕するのは難しい。手のかかる愛息子がヒトの埒外へと征くことのないように、大海賊エドワード・ニューゲートは呪いをかけた。人智を超越した奇跡を起こすことは叶わないのだと、年端も行かぬ頃から言い聞かせつづけて。
 そのことはイゾウも知っていた。そしてマリンフォードにて戦端が開かれる前夜、後を頼むとニューゲートから託された。どうあれ死ぬつもりかと父を詰ったのを、昨日のことのように覚えている。結局は自分も同じように、己が命を『使う』しかないと、その遺言を反故にして――だというのに。だとしたら、指先から伝わるこの熱は何だ?
 微かに、しかし決して離すまいと手を引かれているような――……。
「ッ……!」
 真っ暗で何もなかった視界が、急激に光を取り戻す。眩しさに再び落ちてしまいそうになる瞼をどうにか持ち上げれば、徐々に焦点が定まりゆく。
 よく見慣れた金糸とその持ち主の姿が、すぐ目の前にあった。薄青から時に蒼炎の色へと変わる瞳は閉ざされていて、呼吸は荒く、浅い。
 その理由に、イゾウはどうしようもなく心当たりがあった。深い眠りの底にまで届いた灯火。繋いだ手から今も流し込まれているのは、吹けば消えそうな弱さで点りつづけている青い炎は、この男の命の温度そのものだ。
「……い、おい! マルコ……!」
 渇いた喉から声を絞り出し、鉛のように重い腕でその肩を揺する。
 ――やめさせなければ。いったいどれほどの奇跡が己を生かしたのかはまだわからないが、少なくとも今、分け与えられているこの炎を止めなければ。
「ん……う……」
 ふるりと、青褪めた瞼が震える。蒼炎の色を宿した人ならざる瞳が、あらわになるにつれて生来の色へと戻っていく。
「あ……イゾ、ウ……?」
「お前――」
「よかったあ……」
 安堵を声音に滲ませて、再びマルコの瞼が閉ざされる。すうすうと、今度は穏やかな寝息が聞こえる。繋いだ手に、再生の炎はもう点されていない。されどぬくもりが、絶えず伝わってくる。
「マルコ……」
 よかったと――イゾウが生きていてよかったと、そう口にした顔が目に焼き付いて離れない。
 それは溶けるような笑みだった。
 少年の日の快活さとも、敗走の地で諦念と共に零したものとも、戦場で見せる獰猛さとも違う。――ただ慈しむという感情だけが満ちた、柔らかなまなざし。
 その愛を一心に向けられて、イゾウは雷に打たれたような心地がした。こんなにもあたたかなものをどうして、置いて逝けるなどと思ったのだろう。
 帰る船を失くしたあの日からずっと、どうあれマルコには生きていてほしいと、そう願っていたはずなのに。だから嫌な気配のもとまで飛ばせた後、行動を共にしなかった。妖怪だとか亡霊だとか称される得体の知れない敵よりもっと、よくないものがいると――四皇白ひげの庇護を失った自分たちが晒されてきた世界の悪意がこの戦場にも渦巻いているような、そんな予感がしたのだ。
 結果的に、その予感は的中した。CP0との会敵という最悪の形で。用があるのは麦わらの一味だけだと仮面の男は口にしたが、それが真実である保障などない。そうだとしても、優先順位が変わる可能性はいくらでもあった。
 自分だから見逃されたこと、負ければ死ぬだけで済んだことをイゾウはこの上なく理解していた。もしもあの場にマルコもいたなら、きっと『会わなかったこと』にはならなかった。敗北の先に待ち受けるのは、その身に宿した幻獣の権能を彼らの手の者に継承させんと生け捕りにされ、尊厳を貶められる――想像することすら耐え難い未来で。
 奴らと会敵した瞬間にイゾウがまず思ったのは、ここにマルコがいなくてよかったという、ただそれだけだった。まがりなりにも四皇の元幹部である自分たちという戦力を分散させる方が、大局を見れば理にかなっている――そんなもっともらしい理由で説き伏せて、少しでも味方が多く安全な場所にいてほしいと手を離したことは正しかったのだと、確かに思った。その先で、一騎当千の防衛戦力たる不死鳥の加護を外れた自身に死が訪れるとしても、マルコの魂を踏み躙られることに比べたら何も惜しくはないと安堵さえしたのに。
「……ああ。本当に」
 最低だと、独りごちた。うまく力の入らない手を伸ばし、呼吸に合わせて僅かに上下するその肩を抱き寄せる。
 こんなにも狂おしいほど愛しい存在を、一度手に入れた宝を手放すくらいなら――敵の手に墜ちる前に、この手で殺してでも連れて逝く。そんな激情が、決意が、胸の内で結実していた。そもこの恋の始まりは、願いの星が如く空を翔ける綺麗な生き物を、その陽だまりのようなあたたかさを自分だけのものにしたいという、独占欲であったのだから当然といえば当然か。
 いずれにせよ――もう。手放そうなどとは、二度と思えない。置いて逝けるわけがない。痛いほどに理解してしまった。あの溶けるような笑みは、己が生きて戻らなかった帰結でマルコが背負う絶望の、裏返しだということを。

◇ ◇ ◇

 討ち入りの夜から五日が経過した。
 臨時の救護所として提供され、イゾウが目覚めた当初は野戦病院の様相を呈していたこの長屋も、次第に花の都の喧騒の内へと溶け込んでいった。随分と世話をかけてしまった後進の船医たちも、より重傷だったアシュラや、昏々と眠り続ける先の戦いにおける最大の功労者たちの方へ詰めていることの方が多い。
 必然、イゾウのもとには顔馴染みで、負傷の程度は軽いが療養中の身であるマルコが付くことになる。海にいた頃もそれなりに血を流したり骨を折ったりと心配をかけてきたが、生死の境を彷徨うほどということはなかったし、大抵の場合他にも怪我人は大勢いて自力で歩ける奴は早々に医務室を追い出された。つまり、マルコがイゾウにだけ付きっきりだなどという状況は、初めてだということだ。
 起床や着替えの介助、体の清拭と、好いた相手に献身的に触れられれば、堪らない気持ちにもなる。三十年も傍にいて今更と人は言うのだろうが、それだけの時を過ごす中で思慕の情は強まる一方だったのだから仕方がない。
 互いに怪我人なのだから、年若い船医たちにも散々その旨は言い聞かせられているのだから妙な気を起こすわけにはいかないと何度も己に言い聞かせ、イゾウは平静を装っていた――世間話か何かのように淡々と、マルコがその話を切り出すまでは。
「なあ……あのさ。――……おれたち、終わりにしよう」
 頭が真っ白になる、とはこのことか。何を言われたのか、イゾウは一瞬理解できなかった。否、理解することを脳が拒んだと言う方が正しいのだろう。
 だって――あまりにもいつも通りだった。絶対安静だと念を押し出ていったトラファルガー・ローやトニー・トニー・チョッパーに対し飄々と返答する声も。こちらの葛藤など知りもしないで淡々と、すっかり慣れた様子で病衣代わりの浴衣を着付けるその手つきも。
「せっかく帰る場所があるんだ。これからは本当の家族と、故郷の大事な人たちのために生きてやれよい」
 何でもないことのように、それが当たり前だとでも言うようにマルコは続ける。人生の半分以上の時間を共に過ごしてきて、衝突したことならば何度もあった。付き合ってからだって殴り合いの喧嘩もした。
 それでも、別れ話に至ることだけは絶対になかった。たとえ置いて逝くことになったとしてもその心だけは決して手放さないと、ずっと前からイゾウは決めていた。それほどに深く、時を経るほどにこの愛は募って――マルコも同じだからこそ、自身の衰弱も顧みずイゾウに生命力を分け与え目覚めを待っていたものだと、そう、思ったのに。
 ふつふつと怒りが込み上げる。胃の腑が熱く煮え滾り、一方で頭は冷静さを取り戻しつつあった。誰よりも知っているからだ――この男はいついかなる時も、自分自身のことなど後回しにする悪癖があるのだと。
「……それは、お前の右目が完全に効かなくなってるのと何か関係があるのか」
 目覚めて真っ先に感じた違和感の、正体。
 それを指摘すれば、マルコはびくりと肩を震わせた。
「っ……! なん、で」
「何年一緒にいると思ってる。お前が平気な振りして怪我隠してるのなんざ、全部お見通しだ」
 遠ざかろうとする腕をイゾウは掴み、引き寄せる。硝子越しに間近で覗き込んだその瞳はやはり、右側だけが焦点をなくし白濁していた。能力の行使を中断し蒼炎を映した色から生来の薄青へと戻るとき、どこか違和を覚えたのだ。自身の身体的疲労による錯覚かもしれないとも考えたが、ここではないどこか遠くを見ているように視線が覚束なかった。
 一年前の――あの、ただ辛酸を嘗めるばかりに終わった戦争の後と同じだ。両の目を切り裂かれて宙空から墜落したマルコは、一人でも多くの味方を無事に逃がそうと自身の再生を後回しにして、結果完全な失明には至らなかったものの従来の視力の八割を失った。共にスフィンクスへと落ち延びたから、その後暫く、視覚から情報を得ようとする都度不安げに視線を彷徨わせていたことをイゾウは覚えている。
「その目、誰にやられたんだ」
「さあな……よく覚えちゃいないが、流れ弾だったよい」
「マルコ! ちゃんとこっち向いて話せ!」
 あまりにもわかりやすい、見え透いた嘘だ。本当に流れ弾に当たったのなら、少しだけばつが悪そうに、ヘマをしたとマルコは笑うだろう。
 何も聞かれたくないとでも言うように目を逸らして、唇を噛み締めるその様は、後ろ暗いところがあることの証左にほかならない。
 どういう絡繰かはわからないが、おそらくは、その失われた光は――。
「おれの命の、代償なんだな……?」
「……っ」
 煩悶を湛えた瞳で、苦しげにマルコが息を呑む。それが言葉よりも雄弁な答えだった。父の遺した呪いを、刷り込みを凌駕してまでマルコはその能力を覚醒させ、イゾウの命を呼び戻した。
「――それで、何だってそのことが別れ話に繋がる? そんなことまでされて、おれがますますお前を手放せなくなるのくらい、わかってるだろう」
 己が生存のために最愛が支払った代償をどう受け止めるべきか、イゾウの中でもまだ答えが出ていない。その命まで差し出させることにならなくてよかったと思う反面、片目を奪ってしまったことへの遣る瀬なさは生涯拭えないだろう。人の理の埒外へと踏み出させた罪悪感と――誰を喪っても努めて理性的であろうとしたマルコが、自分のためにそうなったのだという仄暗い歓喜が綯い交ぜになる。
 最低だと、自覚はあった。
「――……っだから、だよい。これ以上お前の、イゾウの重荷になりたくない……! お前、仇討って、生きて故郷に帰れるかもしれねえのに、体張っておれなんかのこと助けたりしやがって……!」
 薄青と灰白の目に薄く張った水の膜が揺らぐ。揺らいで、そうして決壊する。
「前よりもっと見えなくなって、足手まといになっても、おれを助けようとすんだろ……。嫌、なんだよい、そんなことのためにお前が怪我したり、死……死ぬようなことが、あったら……」
 この世で一番あたたかくて、うつくしい生き物が自分のためだけに泣いている。後からあとから溢れてやまない涙を、拭ってやりたいと思うのに。思慕だとか、執着、我欲といったもの――いつだって誰かを優先してばかりのマルコが押し殺しているすべてを一心に向けられて、射止められたようにイゾウは動けなかった。
「……それに。ずっと、いつかは終わりにしなきゃって思ってたよい。生き延びて何にもなくさずにいられたとしても。王族の臣下の隣に、札付きがいちゃまずいだろ……」
「ハ……?」
 しかしその硬直は、程なくして解けることとなる。なにか、ものすごく、聞き捨てならないことをマルコが口走ったためだ。狂おしいほどの慕情に、ひと匙の怒りが落ちてくる。
 いつだって誰かを優先してばかり――そう。それはまちがいなくマルコの美点であると同時に欠点で、その両面をイゾウは愛している。しかし今回ばかりは欠点としての側面を見過ごせそうもなかった。
「あのなあ……何言ってんだ。おれだってとっくの昔に札付きだろうが」
「でも、ん、んう……!」
 言い募ろうとするマルコの唇を、イゾウは半ば衝動的に己の唇で塞いでいた。言葉を発しかけて無防備に開いた隙間へと性急に分け入って、歯列を抉じ開け、縮こまった舌を絡め取る。口内を貪れば貪るほどに、逃げを打つ腰がびくびくと揺れるのが、抱き留めた手のひらに伝わってくる。
 マルコは身を捩り逃れようとしていて、しかしその手はイゾウの肩を押し返す寸前でぴたりと止まった。暫く所在なさげにさまよい、遠慮がちに袖を引いて――柔い粘膜が熱く蕩けゆくほどにぎゅっと縋り付く。
「んん、ん、~~っは、ふぁ……」
 唇を離せばぐらりと、溺れるようにその体が傾いでいく。抱き留めた腕の中でイゾウを睨み上げるマルコの目の端が、寒椿のように赤く染まっていた。
「な、にすんだよい! 大事な話の途中で……!」
「大事な話だからだ。こうでもしなきゃお前、どんどん一人で暴走するだろ」
「だからって――んぅ」
 もう一度、今度は触れるだけの口づけで黙らせる。マルコは直ぐに解放してやったその唇から小さく息を漏らし、「ばか」と消え入るような声で呟いた。
「おれが何て言ってモビーに残ったか、覚えてるか」
「……この船が、好きだから……?」
「覚えてるじゃねえか」
「それでも……ずっと怖かった。お前が、後悔してるんじゃないかって……」
 硝子の向こう側で瞬く瞳から、ひとつ、またひとつと再び涙が溢れ出す。その雫を今度は躊躇うことなく拭ってやりながら、だからかと、イゾウは得心した。人の理を外れ、安くはない代償を支払ってまでイゾウの命を呼び戻しておきながら、マルコが別れを切り出した理由に。喪うことへの恐怖も、身分の違いも間違いなくその一端ではあるのだろう。
 しかし根底にあるものは、負い目だ。あの白鯨の船に残ると決めてから今日までにイゾウが選んだ道と、その傍らにあった彼の選択に、マルコはずっと罪の意識を抱いている。
 余計なお世話だと、そんなものまでお前が背負う必要はないと言ってしまうのは簡単で――けれど、できなかった。それほどまでにマルコが思い詰めていたことに、イゾウもまた気づけずにいたのだから。
「後悔が……少しもなかったと言えば嘘になる」
「っ……!」
「馬鹿、最後まで聞け。後悔もあったが、皆と過ごした日々を間違いだと思ったことは一度もない――お前を愛したことも。全部おれにとって、かけがえのないものだ」
「イ、ゾウ……」
 震える声で、マルコが名を呼ぶ。出会った頃のひだまりのような無邪気さを伴って呼ばれるのと同じくらい、そうやって、何かを堪えるように言葉を紡ぐ声音がイゾウは好きだった。泣かせたくなどないのに、この男の弱さや脆さを自分だけが知っているという仄暗い独占欲が満ち足りていく。
「……戦いが終わって、拾える命があって故郷(ここ)に残るとしても。あのときおでん様を追ってモビーを降りたとしても――オヤジに殺されてもお前のことは攫うつもりだった」
「は……ハァ!? 何バカなこと言って――」
 空を駆ける姿に目を奪われた――たぶん、一目惚れだった。あの船に馴染むものかと作った壁はあたたかな心根に触れるたび少しずつ、少しずつ瓦解していった。失意と絶望の底で打ちひしがれた夜に掛け値なく差し出された優しさが、ただ青く未熟なばかりの思慕を、愛に変えた。
「だからずっと傍にいろ。海賊が一度手に入れた宝をそう易々と手放さないことくらい、お前もわかってんだろ……マルコ」
 マルコの、揺らぐ瞳に張った水の膜が、とめどなく溢れては指先を濡らす。眦は痛々しいほど赤く染まっていた。頬を伝う雫を掬うようにそっと口づければ、びくりとその肩が大きく震えた。
「ほん、と……に……本当に、ずっと一緒に、いていいのか……?」
「おれが、そうしてほしいって言ってるんだ」
 暫しの沈黙がつづく。互いの息遣いだけが確かで、まるでこの世に二人きりであるかのように錯覚をする。開け放した障子から舞い込んだ風が、はらりと一枚、桜の花弁を畳に落とした。
「うん……ずっと、傍にいるよい……」
 涙に濡れた睫毛が、薄青の瞳に影を落としてふるりと揺れる。おずおずと背に回る腕が、ようやくマルコの方からその身を寄せてくれたことが愛おしくて堪らない。きつく掻き抱き、腕の中にある体温を確かめて、やっとイゾウも安堵の息を吐くことができた。もう二度と離すまいと、誓いを新たにしながら。
「あのな……イゾウ」
 柔らかな金糸が喉元を擽る。頬を擦り寄せる仕草と眠たげに溶けた声は、雛鳥が如きいとけなさを湛えていた。
「何だ?」
「怒らないで聞いてくれるか?」
「……内容によるが」
 幼い時分のようにてらいなく甘えて、寄りかかってくれる姿に一瞬、理性が消し飛びそうだった。寸でのところで踏みとどまりながらもイゾウは、得も言われぬ嫌な予感に胸をざわつかせていた。この三十年、マルコがこんなふうだった時にはとんでもない事態が待ち受けていたものだから。
 眠れないから勝手に洗い替えの着物に包まって寝ていた、なんて照れ臭そうに告白してきたのはまだ良い方で(足腰が立たなくなるまで抱き潰した)、一歩間違えば死に至るほどの負傷を隠していたことが何度あったか。両手の指で足らなくなってからは数えるのをやめた。
「……一回だけ。お前が目覚ますの、傍で待ってるとき……心臓止まってた……らしい、よい」
「は……?」
 あのとき。文字通り死の淵から引き上げられ、繋いだ手から灯る蒼炎を手繰りイゾウが目覚めたとき。注がれていたのは本当に、生命力の比喩などではなく、この男の命そのものだったのだと――理解が追いつくと同時に戦慄した。
 ふつりと――愛おしさという重しによって腹の奥底に沈めたはずの怒りが、燻りだす。
「お、まえ……それは、怒るに決まってるだろうが……ッ! 何でそうまでしておれのことを!」
 許せなかった。それほどの献身を隠し通して身を引こうとしたマルコのことも――片目だけに留まらずその命までも、奪ってしまうところだった自分自身も。
 秘密を抱え込むことを諦め、打ち明けてくれたのはいい。それだけでも、何もかもを秘して別れを切り出してきた先程までよりはいくらかはマシだ。けれど。
「ごめん……でも、わかってたから。お前がいなくなったら、自分が自分じゃなくなること……だから何にも、惜しくなんてなかったよい……」
 相手を喪うことで魂を毀損するほどの強く、深い想い――それはイゾウも同じだということを、マルコはまるでわかっていない。
「……だったら、重荷になるとか馬鹿なこと考える前にどんな手使っても傍にいろ。お前、本っ当に昔から……我が侭言うのが下手すぎるぞ」
 今にも理性の喉笛を喰い破ろうとしていた激情の手綱を引き、努めて冷静に丁寧に、イゾウはマルコを寝具の上へと押し倒した。無抵抗で転がった体は、平時よりもずっと軽い。戦場で惜しみなく燃やした分の命の重さも、未だ戻り切ってはいないことの証左だった。
「っぁ……! な、に――」
 するりと頬を撫でれば肩が跳ねる。目の端に差した朱をじわじわと耳まで広げて、何をされるかなどとっくに気づいているくせに。
「おれが、お前をどれだけ大事に思って、気が狂いそうなほど愛してるか……散々体に教えてやったと思ったが」
「ひっ……ぁ、うあ……っ」
「まだ足りなかったか? 欲しがりめ」
 頬から首筋へ、鎖骨へ、胸元へと手のひらを滑らせていく。漏れ出る吐息は熱を帯びて、たったこれだけのことでマルコが感じ入っているのが見て取れる。
 そうなるようにイゾウが作り変えた――お互い始めてで何もかも手探りだったところから、二十余年を費やして。
「なっ……や、めろって、ばか! 怪我人が、んっ、盛んな……! 傷開いたら、あぅっ」
 服を押し上げ膨らみはじめていた突起をぴんと弾けば、抗議の声が途切れて悲鳴に変わる。
「お前が大人しく抱かせてくれりゃ、そうそう開かないだろ」
「ずるい、よい、そんなこと言われ、たらぁ、あ! やあっ、それ、よわ……っ」
 繊維を擦り付けるように引っ掻き、押し潰すたびにマルコの口から上擦った、甘ったるい声がこぼれだして、イゾウはずくりと己の下腹が疼くのを感じていた。眼下で蕩けゆくいとけなく淫らな体に、重く煮凝った情愛のすべてを今一度教え込むつもりだったが、そう長くは保たないかもしれない。
「ふ、ぅう、うあ、だめ、すぐ、いっちゃ、うッ」
「こんなやらしい乳首晒して薄着で飛び回って、いつも心配してんだからな」
「うぅ……見せつけてる、みたいな言い方、すんなってぇ、ぁ、あッ!」
 見せつけているのは胸に刻んだ誇りであって、こんなにも感じやすく育ってしまった乳頭ではないことは無論イゾウとて重々承知している。それでも前を全開にしたシャツが風に煽られたり、空を駆ける姿を見上げようものなら丸見えじゃないかと不安にもなる。そもそも、いくら自身も父と慕う人のものであれ、その体のど真ん中に他の男のしるしが刻まれていることだって、本当は我慢がならないのだ。
 ――だからマルコが墨を入れる前に抱いた。狭量だと、人は笑うだろうけれど。
「ぁ、ああっ、ふあ……っ」
 布地と肌の隙間へ差し入れた指の腹で直接、乳嘴を捏ねてやればいっそう甘い喘ぎがこぼれだす。
「どうした? 可愛い声出して」
「らって、ゆび……きもちいい、からっ」
 堪らないと、マルコが身を捩るたび短く柔らかな金糸がパサパサと敷布を打った。
 大きく乱れ、脱げかかっているシャツを肩から落とせば、淵からぷくりと桃色に膨らんだ乳輪があらわになる。その中心ですっかり固く兆した突起は、更なる刺激を待ち望むかのように、せつなげにひくりと震えている。
「服の上からでもよさそうだったが、こっちの方が好きか?」
「ん――す、き、イゾウのゆび、ちょくせつ、感じられる、からっ」
「っ……!」
「ぅあ、う、あぁあっ、つよく、しちゃらめ、ぇ、あ……!」
 きゅうっと、尖りきった粒を抓む指先に思わず力が入る。弾みで与えてしまった強い刺激に、マルコはされるがままの胸を大きく突き出すように仰け反りながら体をわななかせていた。
「ぁ――ん、んぅ、ふ……っ」
 薄く開いた唇の隙間へとイゾウは吸い寄せられる。喘ぐような呼吸を絡め取って、柔い粘膜の内を蹂躙する。掌中に挟んだままの乳嘴はともすれば指の腹を押し返しそうなほど固く、弾力を保っていて、引き絞るたびに組み敷いた体がびくびくと震えた。
「っは、あ……だめ、も、ちくび」
「こんな触ってほしそうに尖らせといて、そりゃないだろ」
「あッ! あん、だめ、ほんと、に……ッ」
 隆起した形を撫で上げればまた、マルコはその身を震わせる。仰け反った胸の頂から片手を滑らせ、引き締まった腹の溝をなぞるようにして辿り着いた下腹部はしっとりと汗ばんでいる。濡れて――いる。
「や……そっち、見んな……!」
 汗だけではないソレの出どころは、下穿きどころか腰布までも、マルコの身につけるすべてが股座を中心に色を濃くしている様を見れば火を見るよりも明らかだ。
 前を寛げ、下着ごと一息に取り去れば、金糸雀色の薄い茂みもまたぐっしょりと濡れて肌に張り付いていた。
「なあ、マルコ」
「っふあ! ゃ、も、勃たねえってぇ……!」
 乳頭をぐるりと縁取る輪に触れそうで触れない位置へと唇を落とし、力なく揺れるばかりの陰茎をゆるゆると撫で擦りながらイゾウは問う。愛しくて堪らないのに、苛烈で仄暗い支配欲が胸を焦がして止まない。
「こんなに濡らして、潮まで吹いて、だめってことないだろ」
 真綿で包むように快楽で溶かして、ぐちゃぐちゃにして。こんなにもお前を想っているのだと、他の何も考えられないほど刻みつけてやりたくて、どうしようもなくなる。点々と胸に咲いた鬱血の痕よりも深く、もっと、何度でも。
「ぅ、~~っ、だめ、だ、め、きもちよく、なり、すぎちゃ、あっ」
 涙をぼろぼろと溢れさせ、されど抵抗のひとつもせず、ただただむずがるようにマルコは首を振った。
 だらだらと蜜を垂らす鈴口を抉りつづければ、どろりと粘ついたものが手のひらに落ちる。追い打ちをかけるように乳輪を舐め上げると、びしゃりと勢いよく噴き上げた潮がイゾウの浴衣にまで飛び散った。
「マルコ、言ってみろよ……ほら」
「あう、あ、やっ、そ、こぇ、しゃべっひゃ」
「本当はどうされたいのか、お前のその可愛い唇で」
「うぅ、ふ……っあ、ぁ、や……!」
 快楽を湛え揺らめくマルコの瞳から、とめどなく涙が溢れる。口に含んだ突起をきつく吸い上げれば、握り込んだ肉茎がまたびゅくりと精を吐き出した。
「……と。し、て」
 おずおずと伸ばされた指先が、くいと一度、弱々しく袂を引く。
「もっと、してほし、よい……さき、きもちいとこ、どっちも……いっぱいさわって、あいして……っ」
 所在なさげに引っ込めようとするその手をイゾウは押し留める。そうして自身の肩に掴まらせてやれば、愛らしい懇願を紡いだばかりの唇から、は、と小さく息が漏れた。
「ちゃんと言えたな……いい子だ」
「あ、ん、んん、イゾ――」
「可愛がってやるよ、マルコ」
「ひうっ、あ、ぁあ、あッ、あん……!」
 再び吸い上げた乳頭に軽く歯を立てれば、柔らかな金糸が激しく敷布を打つ。くたりと萎れたままの性器がふるふると脈打ち、迸る透明な体液がそこかしこを濡らしていく。
「ぁ……また、いっちゃ、あうっ、あぁあ、ア……っ」
 どちらも敏感すぎる先端をやわやわと包み込み、時折きつく絞って、緩急を伴って愛撫するほどに、すすり泣くような声が熱を帯び甘く蕩ける。ぎゅうと、イゾウの頭を抱き込むようにしてマルコが縋り付いてくるものだから、息を吸うたび、静謐さの中に入り混じる淫蕩の薫りが鼻腔をくすぐった。
 ひだまりのように清冽で、梔子のように淫らだった。
「は――ふ、ぁあ、あ……は……」
 微かに水滴を吐き出すばかりとなった陰茎を解放する頃には、乱れた呼吸に合わせて上下する胸の先は、痛々しいほどに充血し尖り切っていた。その傍らに点々と散る鬱血と歯形は紛うことなくイゾウの、泥のように重く炎のように苛烈な執着の結実だ。
「このまま、抱いていいな」
「ん――……キスして、ぁっ、はう」
 しどけなくくずおれた体をイゾウは抱き起こし、自らの上腿へと座らせる。体が隙間なく触れ合った途端、マルコがびくりと上擦った声をあげた。
「かたいの、あたって、る、よい」
 どこか幼さを孕んだ声が陶然と告げるとおり、痛いほど張り詰めた怒張が、ただふるりと下向きに揺れるばかりのマルコのソレを押し潰している。
「お前がそうさせたんだろ」
「あっ、ぅあ、ん、んぅ……!」
 望み通りに塞いだ唇の、抉じ開けた先で熱く潤んだ粘膜を余すところなく舐め取りながらイゾウは、腰を支えていた手を滑らせ、しとどに濡れた尻のあわいを割り開いた。マルコがその身の半分を幻獣と成すときに尾羽根の付け根と為るあたりを掠めると、びくんと大きく肩が跳ねる。執拗に責め立てればそれだけでまた、このいとけなく淫らな恋人が気をやってしまうことを、イゾウはよくよく知っていた。
「ん、く、んん、ぁ、んうぅ、~~っ!」
 絡め取った舌を、蕩けきった口内を吸ったまま、イゾウはちょうどよく枕元に転がっていた軟膏を掬い取り、菊座へと指を沈めていく。既に内側から愛液が滲出したかと錯覚するほど浅瀬は濡れそぼっていたが、やはり奥に行くほど滑りが足りない。
「っふ、ぅあ、あ!」
「んな締め付けて、指食いちぎる気か?」
「ぁ、らって、え、っらめ、そぇ、いっちゃ、いくっ」
 最奥に届き切らない狭まりを不規則に引っ掻けば腿に乗せた体が大きく仰け反って、離れた唇から伝った銀糸がぱたぱたとマルコの胸に落ちる。その軌跡を辿るようにしてイゾウは汗ばんだ肌を吸い、膨らんだままの乳頭を吸った――何度も、何度も、悲鳴にも似た嬌声が空気を震わせても。
「は、ーっ、……はあっ、ぁ……ッ」
 ずるりと指を引き抜いた瞬間、また目の前の肢体がわななく。秘所を入念に解し終えるまでにマルコが何度達したか、イゾウは覚えていなかった。そんなことを、数える余裕などあるはずもない。
 下着を紐解き、ひくつく窪みに押し当てた性器は、一刻も早くその奥の奥まで暴きたいと打ち震えている。
「挿れるぞ――マルコ」
「ひうぅっ! あッ、あぁあっ、あ……!」
 愛しい名を呼ぶ声が、熱に浮かされて掠れた――瞬間。がくんと、辛うじて膝を立てていたマルコの体が崩れ落ちた。徐々にひらき、貫くまでもなく亀頭は奥の花弁を割り開いていて、いっそ暴力的なまでの締め付けがイゾウの肉茎へと襲いかかった。
「お、く、おく、あい、て、あぐっ」
「ッう、ん、どうした? 名前、おれが呼んだだけで、イったのか? ……可愛いな、マルコ」
「あ、~~っ! ぁ、あッ、やぁあ……っ!」
 今にも爆ぜそうな欲望を寸でのところで抑え込み、問いかければ、きゅうきゅうと肉棒に懐くいたいけな襞が再びわなないた。ずくりと鳩尾のあたりが疼く。ここに至るまでに散々、感じやすい体を蕩かし尽くしたという前提があるとはいえ――本当に、イゾウがその名を呼んだだけでマルコが達したのだと、その事実が稲妻のように全身を駆け巡り、熱く焦がす。
「だ、め、イゾ、だめ、こちゅこちゅって、しひゃ、あぁあッ」
 ふるふると首を振るマルコの言葉とは裏腹に、花芯は捏ねるたび従順にひらき、カリ首へと吸い付いた。揺さぶられるままに溶けて、乱れて、その元凶たるイゾウに縋り付くことしかできなくなっているくせに――背中に爪を立てまいとするいじらしさが、愛おしくて堪らない。
「だめじゃ、ないだろッ……ほら」
「あぁんっ! ら、え、ひぎゅっ、ああう……!」
「ハ――イくたび締まって、こんなに吸い付いて……ッ」
「っふ、ぅう、あ、ぁーっ、らめ、も、トんじゃ、う」
 隙間なく抱き合った体の間に差し入れた指で乳首を撫で擦り、尾てい骨のあたりをぐりぐりと押し込めば、媚肉の収縮する間隔が短く、激しくなっていく。
 視界がチカチカと明滅する。互いに限界が近づいていた。
「あ、ぁあっ、は、イ、ゾ、イゾウ、す、き、だいすきっ」
 童心に帰ったように真っ直ぐに、舌っ足らずに繰り返される愛の言葉が、溢れようとする快楽を押し留めていた最後の糸を跡形もなく焼き切り、溶かす。
「ぐっ……マルコ――マルコ、出すぞ、このまま……ッ!」
「あぁあ、~~っ、ぁ、あ……あッ……!」
 強く――いっそう強く、イゾウは腕の中の体を掻き抱いた。肉茎のかたちに馴染みきった襞が小刻みに震え、先端から噴き出した精液を余すところなく巻き取ろうとする。
「……っぁ、あ、おな、か……あつ、い、よい……」
 ごぷり、ごぷりと断続的に吐精するその都度にも、マルコは軽く達しているようだった。
 くらくらと、眩暈にも似た感覚が押し寄せる。こんなにも淫らで、愛らしく、愛情深い恋人がこの腕の中で身を預けていてくれる。これを幸福と呼ばすして何と呼ぶのか。
 ――いやしかし、何かこう、何だこれは、何か、何だ――……?
 横腹に違和感をおぼえ、イゾウは首を傾げた。違和感というか――そう、痛みである。ちょうど先の戦闘で昏倒する寸前、傷を受けたあたりがじくじくと嫌な熱を持っている。
 一度射精したことで、興奮という薬が切れたのだろう。気づいてしまうと物凄く痛い。
「悪い、マルコ……」
「んん……なに」
 怒るだろうか。泣かれるのは堪えるな。そんな煩悶を抱えながらもイゾウは、ふわふわと覚束ない様子のマルコの頬を撫で、注意を引いた。気づいた時点で申告しなければ後が怖い。
「……傷が開いた」
「…………ハ?」
 つい先ほどまで陶然と蕩けていた顔が、一気に剣呑さを帯びる。そのまま赤くなったり青くなったり真顔に戻ったりを繰り返すこと、数度。
 気だるげな様子から打って変わって素早くイゾウの脇腹を確かめたマルコの手のひらに、べたりと血液が付着して――そうして。
「こ……こんっの、アホンダラぁあああああ!」
 おそらくは数年ぶりの、呆れを含んだ怒声が響き渡った。そうしてマルコは痛む腰を引きずり、明らかに何かあったことが察せられるぐちゃぐちゃの衣服を身に纏い、半獣のすがたで長屋を文字通り飛び出していった。そのおかげで誰にも露見することなく事態は収拾し、イゾウは一生番の鳥に頭が上がらなかったのである――と相成ればよかったのだが、そうは問屋が卸さない。
「……おい、オッサンども。おれは確かに言ったよな……絶対安静だと。この惨状は何だ?」
 ――呆れと困惑を怒りで煮詰めたような表情で、一回り以上も年下の若者が仁王立ちをしている。ドスリと垂直に突き立てられた大太刀の鞘が畳を抉った。
 ここは船上ではないが、医者とコックを怒らせるなという至言の意味をイゾウは改めて噛み締めていた。
 いつぞやに若気の至りで、戦闘の興奮冷めやらぬまま性交渉に及び二人して気絶し、当時モビーで船医長を務めていた老爺に懇々と叱られた記憶が蘇る。つまり、百戦錬磨の老獪な医師に匹敵するほどめちゃくちゃ怖いということだ。
「め、面目次第もねえ……」
 謝意と感謝と事実を口にする他なかった。
 飛び出していったマルコが力尽き、医療資源や替えの布団が仕舞われた納戸の前で座り込んでいるところへ彼らが運良く(?)戻ってきたお陰で、清潔な寝床と着替えが手配され、イゾウも傷の処置を受けることができたのだから。
「人間も動物だし、生存本能が刺激されて交尾したくなるのは仕方ないけど……節度は考えた方がいいと思うぞ!」
「うっ……仰る通りだ、ドクター……」
 なぜだろう。トラファルガー・ローの睥睨よりもよほど、トニー・トニー・チョッパーの曇りなきまなざしの方が居た堪れなさをちくちくと倍加させる。
 次やったら完治とみなして叩き出すぞ、という至極妥当な脅し文句を残し去っていく若者たちを見送り、イゾウはひとつ息を吐いた。
「マルコ」
 声をかければ、こんもりと丸くなった布団の山が微かに動く。体を拭き清め、用意された浴衣を身に纏うなり、マルコは布団お化けと化していた。
 ――無理もない。誰がどう見ても羽目を外して行為に及んだ上に抱かれたことが自明の姿を見られた上に、形振り構わず助けを求めざるを得なかったのだ。身内ならまだしも、多少なり良い格好をしたかったであろう後進の船医たちに。
「悪かった」
「うう~~……」
 ぐす、と鼻を啜る音まで聞こえる。
 合意の上だっただろうとか、お前もメチャクチャに煽っただろうとは、イゾウは言わなかった――言えなかった。他人に見られた痴態の不均衡が過ぎるし、それでも恥を忍んで助けてくれたのだから。
「……キスしてくれたら許してやるよい」
 僅かばかり開いた布団の隙間から、泣き腫らした顔がちらりと覗く。内緒話をする時のように顔を近づけ、こつりと額を合わせれば、夕日に照らされた頬が柔く綻んだ。
「それだけでいいのか?」
「ん……あと、ずっと傍にいて……」
 唇が触れ合う刹那、祈るように、マルコは囁いた。
「馬鹿。それはおれの望みだろうが……」
「……だからだよい。お前の願いなら何だって叶えたいくらい、あ、愛してるんだから……」
 一度は手放そうとした願いだった。
 帰る場所も進むべき航路も失った自分たちには、きっと他のどんな望みよりも、叶えることは困難だろう。
 それでも、もう一度――互いを安息の地と定め、共に漕ぎ出せるのなら。
「ああ……そうだな。おれも――……」
 囁き返した愛の言葉は、口づけの波間へと溶け消える。イゾウは瞼を閉じ、数多の奇跡が結実し今も傍らに在る体温を掻き抱いた。
 ゆりかごのように今は遠い、寄せては返す波の音に思いを馳せながら。



fin.

---------------------------------------------------------------------------
image song:ポラリス/Aimer
「ロスト~」があまりにも救いがな……くはないけど修羅の道すぎて息抜きに書き始めた生存ifでした。
やっと公開できてよかった。幸せになってくれ~~!