掌編まとめ1
正史死別/心中if/生死逆転/生存if/モビー健在軸ごちゃまぜです
最初の1編と最後の2編以外は二人のどちらかが死ぬので読後感があまりよろしくないです
bird kiss
(18歳、付き合いたての二人)
嵐のように海へ飛び出して早三年、船旅には慣れたもの――とはいえ大時化を乗り越えた翌朝などは、さすがに疲労困憊にもなる。少しだけ、朝食の仕込みに駆り出されるまでは。そんな言い訳をしながら、イゾウは甲板の片隅、暫し睡魔に身を任せた。
「……寝てる?」
――夢うつつにひらりと舞い降りる気配。翼を形作った灯火がすぐ傍らにある。
「よし。寝てるよい」
たった今起きたが、とは言わなかった。言えばすぐさま、手の届かない高度へと逃げられる。
この、同い年とはにわかに信じがたいようないとけなさを持ち合わせた男。つい先日までは所構わず無邪気にじゃれついてきたくせに、想いが通じ合った途端、目が合えば赤面して逃げ出すようになったのだ。今か?意識するのは今なのか?こちとら最悪お前を攫うつもりで告白したってのに――という、いつか父と呼びたいひとの逆鱗に触れるであろう腹の中はさておき(たぶん、あのひとには全部見透かされているけれど)。
「っ……?」
手の甲を、羽根から戻ったばかりの柔い皮膚が撫でていく。肩のあたりで何かがもぞもぞと動いて、喉元をふわふわとしたものが擽る。そうして。
「ん」
殆ど吐息のような声に次いで、唇の端をいっとう柔らかいものが掠めた。その甘やかな衝撃がいったい何なのか、経験はないものの、状況から導き出される答えなどひとつしかない。
確かめて、捕まえなければと気持ちが逸る。
「マルコ……?」
「え――ぁ、あ、え、なん――……」
視界いっぱいに空と海を溶かしたような色が広がった。熱を帯びた瞳。耳まで真っ赤に染め上げて、厚ぼったい唇の端にはこの上ない証拠が、イゾウの差した紅の色が移っている。制御を失った蒼い炎が不規則に点り、その腕が空翔ける翼へと転じる前に掻き抱く。
「お、おおお、起きてるなら言、んぅ……っ!」
こんな愛らしい生き物を、きっと遠からず組み敷いて、暴いて奪って喰らい尽くすのだろうと予感した。「甲板で乳繰り合うな!」と兄貴分の雷が落ちる、五秒前のことだった。
白日と常世
正史死別後
限界を超えて能力を行使した体に、不可逆的な生命力の減少が生じていることには薄々気づいていた。あの戦いで負った傷は治りきらず、日に日に、眠っている時間が長くなる。
――当然だ。この身に宿した力は、ほんとうの奇跡なんかじゃない。ただ伝承に残る幻獣を模しただけ。
再生を後回しにして致命的な動脈閉塞に陥った両目の視力は戻らなかった。
遺体に取り縋って泣いても、ただただ溢れるばかりの水滴に誰かを蘇生することなどできやしない。
きっと、いつか、そう遠くない未来。眠りに落ちれば二度と目覚めない日が来るのだろう。死を恐れるような殊勝さはとうになく、生への渇望も色褪せた。怖いのはこの実の力が、健やかにあってほしい誰かの妨げとなる者に渡ってしまうことだけで――けれど、それも彼らなら乗り越えると信じている。
うつらうつらと胸中で反芻しながら、夢へと落ちていく。洗い替えだなんて言ってこの家に置いて行った藤色の薄衣に包まって。本当はこれも、あの男が故郷に骨を埋めた時点で、這ってでも返しに行くべきだった。三十年も貰ってしまった時間の一端。肉親や昔からの知己の方が、ずっとずっと苦しいことくらいわかっていた。
「……でも。できねえよい」
ここは暗くて、冷たくて痛くて。たったひとつのよすがさえ手放した先で、夢で会うことも叶わなくなるのが怖かった。
「ごめんな……ちゃんと、手放してやれなくて……」
濡れた瞼を、よく知る指の形がそっと拭う。短筒と刀の痕が硬く厚くなった、てのひらの感触をまだ憶えている。
幻と消えてしまうのが嫌で、夢の中でさえ開けたくない目を恐る恐る開いて、生前と変わらぬ面差しがそこにあることに安堵する。
眉を下げて、少し困ったような笑顔。キスをする前に、こんな自分をいっとう大切な宝物のように慈しむまなざし。
「――」
名前を呼んでくれる声が聞こえない。あんなに近くにいたのに、真っ先に忘れてしまったから。
――ああ、そうだ。生きていてもいいと思える理由が、まだひとつだけあった。死して堕ちる先はきっと地獄で、愛したひとたちとは行けないから。こんな都合のいい夢を慰めとできるのは、生きている間だけ。
でも、どうか、すべてを忘れて、もう何かもわからない空想に抱かれまどろむその前に。
「はやく……消え、たい……」
泣き言と共に目を伏せる。強く掻き抱かれて白檀が薫る。いつもと同じ、夢の終わりが近づいた合図だ。
指先に口づけを落とした、真っ赤な紅を引いた唇が「またな」と言葉を形作る。
連れて逝ってとあのとき、今、言えたら。
命を乞う/蒼に還る
(正史死別)
命を乞う
「――……愛してる」
生涯、告げるつもりなどない言葉だった。いずれ仇を討って死ぬのだろう男の重荷にはなりたくなかった。芽生えて、花開く前に散った十代の恋。心残りが少ない方が、せめて笑って逝けるだろうと――ずっと抑えてきたのに。
「生きて、帰って来い……」
気づけば去りゆこうとする背に縋り、言葉が、涙が溢れ出していた。この涙にも、指先から灯す炎にも、他者の命を永らえさせる力などなくて。ただ呪いを残しただけの愚か者へと、覚悟を宿した琥珀の瞳が振り返る。
「……ああ。生きて、帰るよ。お前のところに」
その言葉は嘘だとわかっていた。
ほんの数瞬、祈りのように触れ合った唇の――未だ命を持つ温度だけが、ほんとうだった。
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蒼に還る
「――……愛してる」
あと二十年早く、その言葉を聞いていたら。捕まえて、閉じ込めて、決してその手を離さなかった。修羅の道、黄泉路の果てでさえも。皆に生きてくれと望まれたその命を、惜しみなく共に懸けただろう。
「生きて、帰って来い……」
縋りつく指先から灯る炎にも、はらはらと項へ落ちる涙にも。人智を越えた加護を宿すほどの力がないことを知っている。自分たちが”そう”させた。あの船に乗る誰ひとり、父も兄弟たちも、この男が人の領分を踏み外して戻れなくなることを望まなかったからだ。
「……ああ。生きて、還るよ。お前のところに」
真実と嘘を織り交ぜて、焦がれつづけた唇を奪う。
骨も残らず体が朽ちようとも、きっと魂だけは帰り着く。いつか睡る海と同じ、目の覚めるような――かなしく青い炎のもとへ。
ハッピーエンド
(後追い心中エンド)
合わせに差し入れた手のひらがひたりと触れた体はまだ確かにそこにあるのに、ほんとうにすこしも、心臓の拍動が伝わってきやしなかった。不思議だと、絶望よりも先に胸の内を埋め尽くしたのはそんな感慨だ。この腕を翼に変えて落城の炎の中へと連れて行った、少年の頃から何度も共に空を駆けた、その命の重さを、ほんのまばたきほどのつい先刻のように憶えているのに。
首を傾げながらも手繰る指先に冷たい金属の感触を覚えると同時に、倦怠感に体がぐらつく。そのことに――マルコは心の底から安堵した。ちゃんと、約束を守ってくれた。一発きりの海楼石の弾丸。もしもの時は共に逝こうと、二年前、敗走の途でうわごとのように口にしたその約束を、イゾウも覚えていてくれた。
「……本当はちゃんと、お前の手で殺してほしかったけど」
誰の命にも保障の効かぬ戦場で、それは贅沢というものだろう。許してやるよい、と色を失った唇に生涯最後の口づけを贈った。死後硬直に凍てついた指を解いて抜き取った銃に、覚束ない手で弾丸を込めて――幸せだと、目を閉じる。
もう誰も、何も、喪わずに済むのだと――……。
ゆめのあと
(CP0戦共闘→共倒れ心中エンド/遺体を発見してしまう後輩の船医たち)
「っ……駄目だ! 来るな、トニー屋……!」
瓦礫の下から奇跡的に原型を留めて見つかった二人分の遺体を前に、ローは咄嗟に叫んでいた。
勝利宣言から息をつく間もなく、動ける者は総出で生存者と遺体の捜索が行われた。医療の心得を持つ者たちを中心としたその中に、青い炎の翼がはためかなかった時点で嫌な予感はしていたのだ。
確りと繋ぎ合わされた小指の先。
彼らの誇りが刻まれた胸に焼き付いた弾痕にブレた形跡はなく、銃を握ったまま眠る男の腕にも抵抗による爪痕がない。
覚悟の心中だったことは、他人であるローの目にも明らかだった。
「……トラ男」
「馬鹿、来るなと――」
「大丈夫。おれも医者だ……覚悟はできてるよ」
制止を聞かず来てしまった同盟相手の船医は、想定よりも落ち着いた様子だった。この戦の最中にすら言葉を交わさなかった本当に赤の他人でしかないローとは違い、トニー・トニー・チョッパーは一時かの不死鳥と共闘したと聞いたが、取り乱す様子もない。
「へへ……よかったあ」
ただ――ただ、こぼれ落ちそうなほど丸く見開かれた目から、とめどなく涙を溢れさせて。
「大好きな人と……一緒に生きられないのは、つらいもんなあ……」
これでよかったのだと、死者の道行きを言祝ぐように下手くそな笑顔を作る姿は、あまりにもこの小さくも強い生き物に似合わなかった。失意か、或いは苛立ちか、形容しがたい感情がローの胸を蝕む。
――なあ、大先輩。アンタも医者だろ。二人とも助かる道はなかったのか。後進にこんな顔させんのが大海賊の生き様ってやつなのか。
胸中で零した恨み言に、答える声はなく。
痛ましい結末の前にも平等に、夜明けが訪れようとしていた。
きみのすべて
(生死逆転if/「お前の助けを待ってた」失敗エンド)
ドンッ! と続けざまに響いた銃声が二発。己の放った弾丸は確かに敵を射抜いた。あと一歩でも速ければという、後悔と共に。
「あ……あ、あぁッ……マルコ……!」
本当に、あと数瞬だったのだ。
伸ばした手が届くより先に、目の前で鮮血が飛び散っていた。傷つき果てた体から蒼炎が噴き上がることはなく、今も尚――腕の中で、命の温度と重さが失われていく。
「ごめん、な……ちゃんと、助けられて、やれなくて……」
「やめろ……頼む、逝くなッ! 行かないでくれ……!」
形勢の不利は承知の上だった。誰がいつ、どこで死んでもおかしくはなかった。覚悟はしていたはずだ。命まで懸けて力を貸してくれた、その結果として起きる最悪の事態ならば想定はした。自分があの日、船を降りることなくマリンフォードで戦ったのと同じ気持ちでここにいるのだと。たとえ今日命を落とし、その先で果たせない願いがあったとしても悔いはないから仲間のために、当たり前にすべてを懸けるのだと――なのに。
到底、受け容れられるわけがない。
だって誰よりも守りたかった。
それだけが――唯一の指針を喪い当て所のない海に遺された二十余年を、生きていてもいいと思えた理由だったから。
「イゾウ」
頬に触れる手が、世界で一番あたたかいと、そう思っていた手が。
今は氷のようにただ、冷たい。
再生の炎を分け与えようとするその指先からは何も、灯ることなどなく滑り落ちて、そして。
「――……あいしてる」
そう呟いて、それきり。
幻想の鳥は権能を失い、後にはただ、物言わぬ骸だけが残された。
束の間の春
(ハルタ視点/モビー健在軸)
「うわマーキングえっぐ……」
――しくじった。
少年の心を持ったオッサンどもが隙あらばふざけるせいで甲板掃除が長引き、船室に引っ込むタイミングを逸したハルタは顔を顰めた。何があったかといえば、たった今口をついて出た通りである。
島の女とよろしくやった連中のニヤケ面にはウザいな以上の思うところはないのだが、好き合う二人が揃って外泊してきた翌朝というのは中々に破壊力が強い。
春島の夏だというのに上まできっちり留めたボタン、厚手の上着、その上からは彼シャツならぬ彼羽織。――隠し切れていない鬱血の跡と、しっかり者と名高い長兄が手を引かれながらふわっふわで歩く姿。
「……はあ。身内のそういうのキツイな」
とはいえ、こんな明日をも知れぬ稼業だ。この船の家族には悔いなく健やかに過ごしてほしいと、口には出さずとも願っているわけで。多少のアレな絵面には目を瞑ろう。自分もいつかは、あの二人をヒューヒュー冷やかしながら酒を飲むダメな大人たちの仲間入りを果たすかもしれないし――すごく嫌だけど。
たぶん、きっと、おそらく。十六番隊を率いている方の兄弟は、自分よりタッパがデカくておんなじ歳のつがいの鳥を、触れれば溶けて消える砂糖菓子か何かと勘違いしている。
そうでなければ怖いので、ハルタはそう思うことにしていた。
翌朝記憶は消えないタイプ
生存if 酔いどれあざと不死鳥と様子のおかしいイゾウさんfeaturing.忍者海賊侍ミンク同盟
てしてしと、猫の感情表現のように尾羽根が畳を打つ。
「や!」
「いや……や、じゃなくてだな」
ぎゅうと巻き付いてくる腕はふにゃっふにゃで、赤子でも抜け出せそうなほど力が入っていなかったが、それを無碍に振り解くなどということはイゾウにはできなかった。惚れた方の負けとはよく言ったもので、もう三十年もこの男には振り回されつづけている。
「やだ」
「ちょっと世話になった奴らに挨拶するだけだ。すぐ戻るから……な?」
「やだったらやだよい」
ここにハルタあたりがいれば収拾が付くのだが、残念ながらこの海のどこかで存命だということしかわからない。よって四十過ぎのオッサンたちの修羅場或いは愁嘆場に首を突っ込む物好きはこの場にはいない。忍者海賊侍ミンク、そわそわと様子を窺うか我関せずで宴を続行するかの二択である。
「なあ……おい、マルコ――」
「おいてったらゆるさねえから……」
酒精に紅潮した頬を、ついにはらりと涙が伝い落ちる。討ち入りが勝利に終わり、救護所で再会を果たした時から少しだけマルコの様子はおかしかった。ああ――そうか、置いて逝こうとしたから。酔ったとはいえこんな子どもじみた駄々のこね方をするところは初めて見た。その理由に、納得が行った。
そうして、どれほど深く愛されているかを噛みしめる。終わりが見えているのに関係を持ったのは、生半可な気持ちからではなかったが――あの島に独り、遺す羽目にならなくてよかったと、今は心の底からそう思う。どろりと胸の裡で重く澱む、愛着は過日の淡い初恋を抱いたまま、歪な欲の形をしている。
「……よし。祝言あげよう、オヤジの墓前で」
涙を掬って唇を奪う。「破廉恥でござる!」「いやアンタも酔ってんのかい!」と周囲が騒がしくなるのもどこ吹く風、いよいよ何を言い出すかわからない幼馴染を小脇に抱え、イゾウは宴を中座したのだった。