海にもなれない - 1/2

※救いがないです
※登場人物が自死を望む/試みる描写があります
※マルコの見聞色は”人の生命活動を感じ取ることに特化している”という独自設定

 

 

 死んでしまったら愛しい人たちを思い出すことすらできないと、あと何度、そんな強がりを言える?

「故郷の土が一番! きっとイゾウも、そう思ってる……」

 そう告げた声は、震えてはいなかっただろうか。
 雪の降りしきるばかりの静寂の中では、鼓動も呼吸も何もかも、隠し通せる気がしなかった。
 連れて帰りたかったに決まっている。
 あの楽園の島へ、二度とは戻れぬ白鯨の船へ。
 たとえ骨だけになって、それすらも土に溶けて消えても。少しでも近くで眠りたかった。
 それが許されぬ願いだと、痛いほどにわかっている。
 愛した男の帰る海にすら、マルコはなれなかった。
 どこで間違えたのだろう。いつから間違えていたのだろう。
 城を覆う火を消す前に燃え落ちていた区域から見つかった遺体は、酷い、という言葉でも足りない有り様だった。せめて、遠く離れても耳に届く心臓の鼓動が弱まってすぐ駆けつけていたら――違う。業火の中で手を離さずに、燃え尽きて墜ちても何度でも、この身を盾としていたら。
 それだけが、意味のあることだったのに。
 そうすることでしか、生き残ってしまった罪を贖えないのに。
 また、この命を使えなかった。

「う……」

 遠く、地平から射す朝の光に目を瞬いて、浅い眠りは過ぎ去った。
 眩しさから逃げるようにマルコは、藤色の絹へと顔を埋める。こんなものを抱いて眠ったせいか、雪原に立ち並ぶ墓の、ひどく寒々しい光景を夢に見た。今もなお深く胸に残る傷の、ひとつの思慕の終幕に息が詰まりそうになる。それでもマルコはもう、白檀の残り香も薄れかけた布切れに縋らなければ、泡沫の夢を見ることすらできなかった。
 ――自分がこんなふうに擦り切れることを、イゾウは予期していたのだろうか。否、あれは結構がさつな男である。この村で共に暮らした一年の間でマルコの住まいに増えた私物のことなど、すっかり忘れ去っていたかもしれない。
 洗い替えの着物、折れた簪に、予備の銃。すべて二人分揃えた日用品のほかにも、こんなにも、イゾウのいた跡が残っている。
 少しずつ匂いが薄れて、ただ形をなぞるばかりになっても。マルコが捨ててしまわない限り、永遠に。
 もとより期限付きの恋だった。
 いつかは己が命に代えても仇を討つ心算の男を生に繋ぎ止めるだけの言葉をマルコは知らず、ならばせめてこの身が燃え尽きるまで盾となって、共に逝きたいと――それを孤独へと帰結した人生の、最後の救いとしたかった。
 生きて戻るつもりがあるなら、そもこの島を離れるはずがない。墓守を託す当てを見つけていたからマルコは、帰る道の標を――スフィンクスの永久指針を持たず海を渡ったのだ。
 そんなことはわかっていたくせに、イゾウはマルコを、置いて逝った。
 業火の中差し出した手は振り払われた。
 それが――突き放すことが愛なのだと知っていて尚、マルコは裏切られたような気持ちになった。
 この家に残された銃にごく普通の鉛玉しか装填されていなかったことを思い知って、再度、心は引き裂かれた。血の一滴すら落ちない冷たい床に膝をつき、ただ硝煙の匂いが立ち込める中で、涙さえも枯れ果てて。絶望という言葉の意味を理解した。
 当たり前に生きて、食べて、眠って、目覚めて、この体は生きようとする。壊れることも、緩慢な自死すらもできなかった。誰を喪っても立って、生きて帰れと、魂に刻み付けられた願いがあるから。
 こんなにも痛いのに、痛くて堪らないのに。生きていたくないと、まだ心の底からは思えないなんて。
 この身は真実、化け物のようだと思う。
 いったい、いつになれば役目を果たせる?
 胸を張って生き抜いたと言える?
 体温を忘れて、声を忘れて、顔を忘れて、思い出のすべてが燃え尽きる前に。

「はやく、お前のところに行きたい……」

 願いを口にすれば、よりいっそう寒さが増す。
 指先に蒼炎を灯せども、心は昏く凍てついていた。